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2008年11月28日 (金)

訳書や著書の書名の決まり方

前々から書こうと思っては忘れていたことがある。訳書や著書の書名がどのように決まるのか、だ。

先日刊行された『セカンドライフ 仮想コミュニティがビジネスを創りかえる』の書評で「題名がよくない」との評価があって思いだした次第。

訳者や著者が決めると思う人が多いはずだ。著書はとうぜんに著者だろうし、訳書も訳者の意見を中心に編集さんとの相談で決める、くらいだろうと。私も昔はそう思っていた。

実態はまったく異なる。

書籍のタイトルは、通常、出版社が決める。訳書の場合、訳者に決定権はない。書名は訳を提出しないことも多いほど。参考意見を聞かれるくらいのことはあったりするが、「あったりする」ということは、言い換えればない場合もあるということだ。出版翻訳で名の通った訳者(私など比べものにならないほど多くの訳書を出されている方)でさえ、「その書名だけはやめてくれ」と言ったのにと嘆いておられたことがある。

編集さんもあまり強い影響力を持たないことが多いらしい。編集さんと「こんな感じの書名で行きたいですね」という話をしたあと、「最終的にこうなりました。すみません」という連絡をもらうこともあるからだ。

実は著書でさえ、著者に書名の決定権がない。これを知ったときは、正直、びっくりした。『実務翻訳を仕事にする』を宝島社から出したとき、まっさきに編集さんから言われたのがこれ。「私も意見は出しますが、書名は営業が決めます」と言われたのだ。

著書でもこうなのだと知っていたおかげで、訳書で「書名は出版社側で決める」という流れにびっくりせずにすんだわけだが。

そう、書名は営業が決める。そういうことになっているらしい。書名は売れるかどうかを大きく左右する要因の一つなわけで、だから、販売に責任を持つことになる(持たされる、とも言えるだろう)営業が決めるというのも一理ある。それで売れれば営業の成果だし、売れなくても営業としては自分たちが出した結果ということで納得できるだろうから。本を作る段階にまったく関与させてもらえず、売るだけ売ってこい、売れなかったらお前らの責任だと言われても納得できないであろうことは想像に難くない。

一方、著者であれば当然、内容に愛着があり、それが正しく凝縮された書名にしたいと考える。訳者にしても、原著者の代弁者として原著者の意図が正しく凝縮された書名にしたいと考える。そういう意味から言えば、今の形はあまりありがたくないわけだが、商業ベースとする代償と考えなければならないのだろう。自費出版なら自分の好きな書名がつけられる(翻訳の場合、版権取得の問題があるので自費出版という選択肢はありえないが)。商業ベースの出版では売れずに在庫の山をかかえるリスクを出版社に負ってもらうわけで、その分、なにがしかのことがあっても当然と言えば当然だろう。

推測だが、英語の本も似たような状況なのではないかと思う。内容を読み込んだとき受ける著者の姿勢や内容と書名にずれや矛盾を感じることがあるからだ。日本と同じように書名は基本的に出版社が決定権を持っていると考えれば、このようなことになるのもうなづける。

なお、このように書いてくると、いかにも、「営業が書名をつけるのはおかしい」と言っているように聞こえるかもしれないが、必ずしもそうではない。思わず「うまい!」と言いたくなる書名もあるし、内容もさることながら命名がよかったと言われる本もある。その書名をつけたのもおそらくは「営業」である。また、「内容が正しく凝縮された書名にしたい」と思っている著者や訳者が書名を決めれば必ずいい結果が出るというものでもない。実際にやってみれば、命名のセンスがなくて悲惨な題名をつけてしまうことも少なくないだろうと思う。

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コメント

こうした書名の決まり方はどこでも誰でもそうなのでしょうか。例えば渡辺淳一や京極夏彦のような高名な作家でも、書名を決める権利はないのでしょうか。

ちなみに夏目漱石は新連載小説を始める際、題を『彼岸過迄』にした理由を彼岸過ぎまで連載予定だからと説明しています。そんなんでいいのかという気もしますが。

投稿: バックステージ | 2008年11月29日 (土) 21時02分

そこまで有名な作家先生になれば話は別だろうと思います。でも、翻訳だとかなりよく知られた人でも題名を決定する権利はないようです。

著者と訳者を比べると、訳者のほうが自分の考えを通しにくいというのはあるように感じます。表記なんかも、作家が「自分の作品ではこう表記する必要がある」と言えば通るらしいですが、訳書だと通りにくいように感じます(「通りにくい」だけで「通らない」ではない。私の訳書でも普通は避けるという表記を理由があるからと使わせてもらったことが過去に何度かある)。

訳者は原著者の代弁者ということで、著者自身と比較すると若干遠慮がちな位置づけなのかなぁなどと私は考えています。もちろん、遠慮して原著者の代弁がきちんとできなくなっては訳者失格なので、すべては兼ね合いだと思いますが。

投稿: Buckeye | 2008年11月29日 (土) 21時31分

京極夏彦はDTPソフトウェアを使って全ページのレイアウトを行い、一つの文がページをまたがることのないようにしているそうです。丸谷才一は歴史的仮名遣いで文章を書いたりしますし、作家にとって表現や漢字の選択は命でしょう。翻訳者の場合、表記や表現を指定されることも多く、そうしたこだわりを貫けることは少なそうです。

投稿: バックステージ | 2008年12月 1日 (月) 13時57分

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