翻訳業界山脈モデル
翻訳の業界における自分の位置というものを考えるとき、その評価軸はひとつにならない。してはならないと言ってもいい。
「翻訳業界なんて業界は存在しない。さまざまな業界において翻訳の需要が発生しているだけ」という考え方もあるが、それはとりあえず、横に置いておく。
一つの評価軸で比べるということは、山にたとえれば、一つの大きな山(いわゆる独立峰)のどのあたりにいるのかを考えるということになる。しかし、現実の仕事の世界は、数え切れないほどのピークがある山脈というか、むしろ平野に点在する山脈と小山と丘と……みたいなものだと思う。自分がいるところが周りよりも少し盛り上がっていれば、その小山においては第一人者として外部からそれなりの評価をされるだろうし、その部分に需要がある限り、食いっぱぐれる心配がない。自分がいるところよりもはるかに高いピークが自分から少し離れたところにあっても、自分に影響が出ないという意味では関係がない。自分の周りというのは、普段の仕事でいえば、自分が登録している翻訳会社の自分が登録している分野、と考えていいだろう。
翻訳者として、その中で何ができるか、すべきかを考えれば、やはり、薄紙を積むようにして自分の力を高めていくことだと思う。自分がいる小山を高くしておけば、海面が上がってきたとき(不況など)、水没せずにすむ可能性が高くなるからだ。
結局、どこにいようと、自分を取りまく現状がどうであろうと、薄紙を積んでいくのが一番大事だと私は思うし、それしかやれることはないとも思う。そして、そういう意味では、翻訳業界が独立峰であっても山脈であっても関係ないようにも思う。
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コメント
さだまさしの『勇気を出して』に「山は高さを競わないけれど それぞれに頂があるように」とあります。
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=29323
投稿: バックステージ | 2008年11月26日 (水) 22時04分
おー、いい言葉ですね。
高さを競っても仕方ないですよね。あっちとこっちで離れていればどっちが高いかなんてよくわからないし、仮に正確に高さを測れたとして高かったからどうということにもならないし。まして、自分の頂よりもあっちの頂が高そうだとうらやむのも、腐るのも意味がないと思います。
あっちが高そうだ、自分もあのくらいなりたいと思うのは、いいかなと思いますが。そこがホントの山と人間の違いということで(^^;)
投稿: Buckeye | 2008年11月27日 (木) 21時25分
見上げるなら空を見ればいいのだと思います。地球での営みなど、大宇宙に比べたらちっぽけなものでしょうから。
We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.
Oscar Wilde, Lady Windermere's Fan, 1892, Act III
投稿: バックステージ | 2008年11月28日 (金) 11時42分
空かぁ。あ~、それ、いい。
バックステージさんって、こういう比喩に才能があるんじゃないですか? 翻訳を採点競技に例えるとか、うまいなぁと思った記憶がずいぶんあります。
投稿: Buckeye | 2008年11月29日 (土) 08時32分
お褒めにあずかり恐縮です。せっかくですので、私なりの翻訳業界採点競技モデルを提示してみたいと思います。私は採点競技に関与したことがないので的外れな見解を述べるかもしれませんが、部外者の素人考えと思ってご容赦ください。
採点競技で採点をするのはジャッジであり、ジャッジが与えた点数の多さで順位が決まります。観客の拍手の多寡は関係ありません。極端な話、観客がいてもいなくても一緒ということになります。
しかし採点競技は競技である以前に演技であり、演技を成立させるのは演技者と観客です。演技者の身体動作は少なくとも誰か一人の心を打った時に初めて演技と呼ばれるのでしょうし、一定数の観客が支持しなければ興行が成り立ちません。興行が成立しなければ、ジャッジが存在する意義もありません。
となると、ジャッジの採点基準が観客の意向とあまりにかけ離れていた場合、採点基準が見直されることになります。でないと観客が離れていきます。
同様のことが翻訳にも言えるように思います。翻訳者の訳文を評価し報酬を支払うのはクライアントでありエージェントですが、最終的な評価を下すのは読者です。ということは、読者が許容しかねる訳文を提供するクライアントやエージェントは、長期的には淘汰されることになるのではないでしょうか。そしてもちろん、翻訳者もです。
長文、失礼しました。
投稿: バックステージ | 2008年11月29日 (土) 20時55分