専門用語と一般的な単語の訳
翻訳関連の雑誌記事やブログなどでは「専門用語の訳をきちんとすることが大事」などと書かれていることが多い。それはそれで正しいのだが、実は、「専門用語は楽な部分。難しいのは一般的な単語」だと私は思う。
このあたりは、「辞書-信じるはバカ、引かぬは大バカ」に続くコメントや「電子辞書の選び方・使い方」などでも軽く触れている。
専門用語の訳は決めなければならないし、文書内で統一しなければならない。「決めなければならない」「統一しなければならない」と言うと難しく聞こえるが、実は、翻訳者にとって専門用語ほど楽なものはない。それが専門用語であるとわかりさえすれば、一定の訳語を当てはめてお終い。それ以上のことを考える必要は、基本的にない(クライアント支給の用語集にも不適切な訳が入っていたりするので、鵜呑みにしないという注意は常にすべきだが)。
これが一般的な言葉になると、候補となる訳し方が山のように登場する。どれが目の前の文章に一番適した訳し方なのかを判断しなければいけないのだ。しかも、一つ前に出てきたときと同じでいいとは限らない。いや、一般的な言葉なら訳し方を変えるべきである可能性がとても高い。毎回、いろいろと考えないといけないのだ。
このあたりのことを理解するためには、まず、単語なりフレーズなりが持つのは「意味範囲」であることを考える必要がある。意味は一つではなく、多様というと点がたくさんあるイメージになるが、実際には面で表されるようなイメージであり、その境界が人によって微妙に異なるというのが現実だろう。
これは翻訳の原語側においてもそうだし、ターゲット言語側においてもそうだ。この意味範囲が原語とターゲット言語でぴったり重なる言葉があれば翻訳は簡単。このような例が固有名詞や専門用語だと言える。いずれも意味範囲が非常に狭く、ピンポイントとなっており、原語とターゲット言語に同じものを指し示す言葉があるわけだ。
これに対し、一般的な言葉、特によく使われる言葉ほど意味範囲が広い。これは、辞書を見ると、基本的な言葉ほど詳しく書かれていることからも明らかなはずだ。どんなに広くても、原語とターゲット言語に意味範囲がぴったり重なる言葉があればいいのだが……そんなうまい話はない。だから、辞書にもたくさんの訳語(候補)が列挙されているのだ。
辞書にある訳語候補から文脈に最も適したものを選びだしたり、辞書の記述から意味範囲を把握し、その範囲内で文脈に最も適した単語や表現をひねり出したりすることが我々翻訳者の仕事なのだ。
ところが、意味が揺れる一般的な言葉について「定訳」を探している人や用語集で規定してしまっているケースなどをよくみかける。自分が作業をするときには、常に、これは意味が一定しており訳語を固定すべきものか、意味が変化しており出てくるたびに訳を工夫すべきものかを考えなければならない。また、クライアント支給の用語集についても、訳語を固定すべきなら従うが、意味が変化するときには用語集から離れるということをすべきである。
| 固定リンク
「翻訳-スキルアップ(各論-品質)」カテゴリの記事
- テトリス(2018.06.08)
- 翻訳フォーラムシンポジウム2018――アンケートから(2018.06.06)
- 翻訳フォーラムシンポジウム2018の矢印図――話の流れ、文脈について(2018.05.31)
- 翻訳フォーラムシンポジウム&大オフ2018(2018.05.30)
- 翻訳メモリー環境を利用している側からの考察について(2018.05.09)
コメント
Buckeyeさん、初めまして。
特許翻訳を専門にしているものです。
仕事の合間にブログ読ませて頂いています。
最新でない記事にコメントで恐縮です。
化学の翻訳をしていると人に言うと、
「専門用語が大変でしょう」とよくいわれますが、
Buckeyeさんのおっしゃるように
専門用語はたいしたことはないです。
今までの私の経験から考えるに、
単語(または単語群)を構成する文字数と単語の持つ専門性が
比例する様な気がします(非常に粗っぽいですが)。
長い単語ほど1つの意味しか持たないイメージです。
仕事をする上でいや~な単語は
apply, provide, loadです。
これらの単語の持つ多くの意味の中から
自分がある意味を選んで日本語にした途端、
原文の持つ意味が狭まるのではないかという
漠然とした不安がいつもあります。
形容詞でいや~なものは、specificです。
専門用語にも一般の単語にもなります。
文脈にあったピタリとはまる訳語を考えついた時は
嬉しいですが、私の場合は特許なので、特許事務所が
漠然とした(権利範囲を広くできる)単語に
変えたりすることがあるようです。
翻訳って難しい仕事ですね。
投稿: たえ | 2009年11月19日 (木) 12時32分
挙げられた単語とか、どれもイヤですよねぇ。
ある分野にはいった当初は「専門用語が難しい」と思うわけです。知らない単語、知らない言い回しが次々出てきますから。でもそういう初歩的段階をすぎたら、次は、こういう一般的な用語が難しいと思う段階にはいる。翻訳をしている、プロ翻訳者だと言えるのは、ホントはここから先だと私は思っています。この手前までで終わりにするのは単語置換業にすぎないと。
投稿: Buckeye | 2009年11月22日 (日) 08時19分