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2008年8月27日 (水)

以上・以下

基準点を示し「~以上」「~以下」などと言うとき、基準となる点は入るのか入らないのか。

こう聞かれると、まず10人が10人、「『以上』『以下』は入る。入らないなら『超える』『未満』などを使う」と答えるだろう。昔、そう習ったと。私もそう習った記憶がある。

では、「それ以上でもそれ以下でもない」はどういう意味になるのか。「お前は人間以下だ」は? どちらも、基準点を含まないと考えないと話がおかしくなる。また、「予想以上のでき」と「予想を超えるでき」はどうか。このふたつには違いがあるのか、ないのか。

■辞書を調べる

たかが辞書、信じるは馬鹿、引かぬは大馬鹿」である。まずは辞書を引いてみよう。

以下、広辞苑(第四版)より「以上」の語義の一部
--------------
程度・数量などについて、それより多い、または優れていること。法律・数学などでは、基準の数量を含みそれより上。「一八歳―」「中級―」「予想―のでき」
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ごく乱暴にまとめれば、「一般に基準点は含まない。特殊な領域では含む」ということだ。特殊な領域というのは、数字で表されるものとか法律的なお約束ごとのとき。「人間以下」とか「予想以上」とか感覚的なものは入らない。

ここで思い出した人もいるんじゃないかと思う。「以上」「以下」が基準点を含むというのは数学の時間に習ったと。

うん、わかった……そう思った人は、次のようなケースを考えてみて欲しい。

上でも触れたが「それ以上でも以下でもない」という表現がある。これが「基準点を含まない」ことは明らかである。こういうのは感覚的な話だからね……と言うなら「このスパゲッティのベストなゆで時間は8分なんだよ。それ以上でも以下でもダメなんだ」と数字にしたらどうなるだろうか。「それ=8分」と数字以上、数字以下だが、ここはやはり「含まない」となる。

もちろん、「それ以上でも以下でもない」は慣用句であって例外という考え方もあるだろう。では、

このスパゲッティのベストなゆで時間は8分。それ以上でも以下でもない。しかし、その後の炒め時間についてはそれほど厳密ではなく、1分以下であれば問題ない。

とあったら、「1分」ちょうどは入るのか入らないのか。1分1秒、炒めたらダメだと言っているのか。

あるいはこの例を(↓)のようにしたら、どう、感じられるだろうか。

このスパゲッティのベストなゆで時間は8分。それ以上でも以下でもない。しかし、その後の炒め時間についてはそれほど厳密ではなく、1分未満であれば問題ない。

私の感覚としては、「1分未満」はちょっとおかしく(言いたいことは分かるが)、「1分以下」のほうが適切だと思う。理由はおそらく、「厳密でない」と、1分という基準点が含まれない厳密な言い方である「未満」とが相容れないからだろう。これが「以下」であれば、(厳密な意味で使われることもあるが)もともとがあいまいな表現なのでそこそこ収まりがつくのだと思う。

さらにさらに、(↓)のようにしたら、どうだろう。

このスパゲッティのベストなゆで時間は8分。それ以上でも以下でもない。しかし、その後の炒め時間についてはそれほど厳密ではなく、1分以下であれば問題ない。なお、当然ながら、このような作業をレストラン厨房で行うためには調理師免許(受験資格はXX歳以上)が必要である。

最後の「XX歳以上」が基準点を含むのは当然。それぞれの場所で意味を考えれば、それなりに理解できる表現であり、おそらく、ごく普通の日本語として通用してしまうだろうと思う(つまり、日英翻訳時、原文としてこのような日本語が出てくる可能性がある)。

■ウェブを調べる

そんなん、あんたが考えただけの例文じゃんって言う人は、Googleで「"1円以下"」を検索してみて欲しい。

この検索をすると、「1円以下の消費税は切り捨て」とか「端数は1円以下四捨五入」とか、「1円未満」の意味で「1円以下」と書いてあるサイトが大量にヒットする。約款などがたくさんあることから、これらの多くは誤用だと断じていい。断じていいのだが、とにかく、約款という法的なものにおいてさえも誤用してしまうほど、起点を含まない意味の「以上」「以下」がよく使われていることは確かだ。(今はなくなったが、過去にチェックしたときは、アメックスのサイトにも「1円以下の消費税は切り捨て」という記載があった)

もう少し詳しく調べてみよう。

「"消費税" "1円以下" "切り捨て"」-8千ヒットほど
「"消費税" "1円未満" "切り捨て"」-100万ヒットほど

厳密に使っているはず、厳密に使わなければならないはずの内容についてでさえ、誤用が1%弱、あるわけだ。これほど「誤用」が多いとなると、翻訳の仕事においても考慮する必要があると思う。「以上」「以下」が原文にあったとき、基準点を含むケースと含まないケースがありうることに注意しなければならないのだ。

■翻訳時の判断

日本語から外国語への翻訳をするとき、目前の日本語に「以上」「以下」があったとして、それが基準点を含むのか、含まないのか、どちらであるのかは、どのように判断すればいいのだろうか。どういうときに基準点が含まれ、どういうときに基準点が含まれないのだろう。

答えは……基本的には、筆者が基準点を気にしつつ「以上」「以下」を使っていたら基準点が含まれ、基準点を特に気にせず気軽に「以上」「以下」を使っていたら基準点を含むかもしれないし含まないかもしれない、である。

要するに、基準点を含むとか含まないとかややこしいことを考えずに比較に使うのが、日本語では、一般に「以上」「以下」なんだ、と言っていいだろう。ここから派生して、誤用として、基準点を気にしつつ「以上」「以下」を使っていても基準点を含まないことさえもあるわけだ。

結局、翻訳という作業における原則としては、「以上」や「以下」は、出てきたら「危ない」「基準点は含むかもしれないし含まないかもしれない」と必ず警戒すべき言葉であり、それぞれのケースでどちらなのかを判断する必要があるのだと私は思う。この判断は限りなく難しいし、間違うことも少なくないと思うが、判断しないと訳せないので判断せざるを得ない。

実は一番多い英語と日本語との翻訳では、事態がさらにややこしい。英語では、基準点を特に気にせず気軽に比較するとき、"more than"などの基準点を含まない表現を使うことが多いからだ。つまり、基準点を特に気にせず気軽に比較している場合、「以上」「以下」に対応する英語は"more than"、"less than"などになることがけっこうある。こういうとき、基準点を含む表現にすると、英語としては違和感があるものになってしまうのだ。

基準点を特に気にせず気軽に比較していると「以上」「以下」に対応する英語が"more than"、"less than"などになるのなら、逆に英日翻訳では、"more than"、"less than"を「を超える」「未満」ではなく「以上」「以下」と訳したほうがいいケースもあることになる。

どうせ基準点を気にしていないのだからあまり重要なポイントではなく、字面に合わせて訳しても別に問題はない……だろうか。たしかに、それでいいなら、言い訳もできるし機械的に作業ができるので翻訳者としては助かる。現実問題としては、文脈に即して「以上」「以下」を"more than"、"less than"などに訳したり"more than"、"less than"を「以上」「以下」と訳したりすると、誤訳だと指摘されて説明に手間暇がかかる上、最終的に理解してもらえない可能性さえもある。現実的には、機械的に訳した方が圧倒的に「楽」である。

でも、これは「考えれば分かる」訳だと私は思う。そして、『誤解されやすい翻訳業界の常識-訳文に、翻訳者の解釈を入れてはならない』や『原文は親切に読む。訳文はいじわるに読む。』などで何度も書いているが、「考えれば分かる」のなら、「考えなくても分かる」訳文にするのが翻訳者の仕事だとも思う。

翻訳フォーラムでは過去に何度も話題に出た記憶があるのだが、いまだに、どこかで話をだすたびびっくりされるので、ブログのエントリーにも書いておくことにした。

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コメント

いやもう、「何度話題になったかしれない」トピックなのですが、近頃は開き直って^^;「おりに触れて話題にしなくてはならない」トピックだと考えています。「翻訳とは何か」を考えるうえで、ベースになる題材だと思うので。

ただし、議論の筋道ということでは、それと同時に、というかその出発点として、こういう区切りの表現として、英語なら英語で「more than」「less than」が、日本語なら日本語で「以上」「以下」について、(1)置かれている位置というのを、類似表現のなかで、きちんと位置づけておかねばならないわけですし、そのうえで(2)それぞれが、一般的な文脈で、どういう場合にどう使われるかを簡潔にまとめておかねばならないわけです※。

でも、「more than」「less than」や「以上」「以下」って、そういう議論をしなくても、ともかく、それらが双方の言語で、もっともフツーの表現だというのが、わかってもらいやすいのですよね。

だからこそ、「翻訳とは何か」を考えるうえで、うってつけの題材になるわけです。

   ※「この電気釜では5合以上は炊けない」といった場合に、5合は炊けるのかどうか、等

投稿: Sakino | 2008年8月29日 (金) 10時26分

ちなみに、「誤用」というのは、言いすぎかもしれないような気がします。

辞書に載っているか・いないのかという点では、たとえば、『学研国語大辞典』第2版参照の「参」が参考になります(これも不十分ですが、基準点を気にしていない場合に、基準点を含む・含まないは微妙なんだ、とまでは辞書に載っているわけです)。

また、ごくごく一般論として、たとえば、「○○以上はできない」といった場合の「以上」は、○○を含まないことが多いものと思います。(例:「5時間以上は働けません」など)

「基準となる点は含まない」というのは、数学・算数用語の翻訳のとき(明治?)に、他にないから(あるいは、一番代表的かつ簡潔な表現ということで「以上」「以下」を当てた、という事情だと推測しています。

「以上」「以下」のもともとの意味というのは、もっと前からあるわけで、どういう場合に含む・含まないという議論は、辞書レベル以上で、まだまだ一般化が可能だと思います。

投稿: Sakino | 2008年8月29日 (金) 10時52分

こちらでは初めての書き込みになります。

「以上」、「以下」の話題になると決まって思い出すのが、「友達以上の関係」という言葉です。一般の用法では、「友達以上の関係」というと通常の友達関係は含みません。この点で、広辞苑では語義がうまく説明されていると思います。

投稿: LImaLima | 2008年8月31日 (日) 21時34分

Sakinoさん、LimaLimaさん、

夏の終わりでバタバタしていて、ブログもほっぽらかしになっていましたm(_ _)m

これって、みんな、ふだんは無意識のうちに処理していて、それでたいがい、うまく行ってるんですが、改めて聞かれると、あるいは、どっちだろうと意識すると、とたんに画一的に処理しようとして話がおかしくなっちゃうんですよねぇ。まあ、翻訳というのは、ターゲット言語で最初から書いていたら絶対にやらないミスを誘発されるものなので、そういう意味からも、「翻訳とは何か」を考えるうえで、うってつけの題材なのかもしれませんね。

投稿: Buckeye | 2008年9月13日 (土) 11時49分

「以上・以下」が基準点を含む用法は、大昔からあったようです。

別のところで教えてもらったのですが、『日本国語大辞典 精選版』(2006年)には、続日本記-文武天皇元年 (697) とかの用例が載っています。精選版ではないほうには、もっとたくさん、大昔の用例が載っているらしいです。

そんなこんなからすると、もともとは基準点を含んだものが、一般的な用法が広がるとき含まない(というか、含んでいるとか含んでいないとか気にしない)形になってしまったのかもしれません。

投稿: Buckeye | 2010年6月26日 (土) 09時01分

こちらにはコメントしていなかったようですが、以上・以下というのは、日常文脈では、自分の立ち位置・目の位置がによって意味の変化する典型例の一つだと思います。(こそあど等と一緒ということです。)

たとえば、「n以下」は、自分の目の位置が、n以下側にあれば、nも含み、「n以上」は、nを含まない……がデフォルト。

ある種の境界を設定して、そこまでは《ウチ》、そっから先は《ヨソ》というような発想だと思うので。

そういう視点を組み込んで観察すれば、すぐわかるかな、と思います。

「以上」「以下」だけでなく、「~より」みたいな境界表現についてのデフォということと考えた方が発展性があるかもしれません。

投稿: Sakino | 2012年4月20日 (金) 09時16分

↑の、「以上・以下」あるいは境界表現のはなしは、私のオリジナルなので出典はありませんが、コソアドの議論は、高橋太郎「日本語の文法」p.54の2.3.2コソアドの直接的な(空間的な)用法…のセクションにわかりやすくまとまっています。これは、この著者のオリジナル(最初のまとまった論文のはず)です。

↑の議論も、書き手・話し手ということで簡略化して書いていますが、もちろん、厳密には、話し手と聴き手の双方が関わってくる議論だと思います。

投稿: Sakino | 2012年4月20日 (金) 10時02分

なお、このあたりを踏まえることで、英語側の、not more than, up to, ..or less等のニュアンスのちがいの議論が、はじめて双方言語照応的に可能になると理解しています。

投稿: Sakino | 2012年4月20日 (金) 10時04分

使い手の立ち位置・目の位置によって変化するというのは日本語だとよくある話ですが、たしかに、以上・以下の基準点を含むかどうかについてもそういう形で説明ができそうですね。

投稿: Buckeye | 2012年4月20日 (金) 10時43分

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