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2008年7月14日 (月)

TRADOSを使う理由・使わない理由

先日、「文脈に合わせて訳文を組みたてる」というエントリーを書いたとき、余談として「全体の流れを切り捨てることで訳文リサイクルによるコスト効率アップを実現するのが翻訳メモリという考え方だ、と私は考えている」と書いたところ、TRADOS(を代表とする翻訳メモリ)を使っている方々からたくさんのコメントをいただいた。

この関連で、Jackさんという知り合いの知り合い(になるんだと思う)方が「自分は訳文の再利用以外の目的でTRADOSを使っている」とのことで、そのあたりをブログに書いてくださった。共感する部分のほうが多いのだが、とりあえず、そのエントリー(TRADOSを使う理由)に対する感想のようなものを書いてみたい。

以下、基本的に"TRADOS"としか書かないが、ほかの翻訳メモリ・ソフトでも同じことが言えるので、適宜、読みかえていただきたい。

1. ソースクライアントからの指定

これはもう、どうしようもないケース。TRADOSに対する私の考えを一言で表すなら、「一部翻訳者にとって必要悪」である。ソースクライアントがTRADOS使用を指定するような仕事をするなら使わざるを得ない。

そういう仕事をするか、あるいは別分野の仕事をするかの選択肢しかないわけだ。

そういう分野の仕事がしたいからTRADOSを導入するか、TRADOSを使いたくないからそういう分野の仕事をしないか。どちらも各翻訳者の選択であり、どちらが正しいとか正しくないとか、いいとか悪いとか、そういう話ではない。

2. 翻訳会社からの指定・要望

これも「1. ソースクライアントからの指定」に準ずる。翻訳者にとっては、そういう仕事を請けるか、断るかしか選択肢はない。

3. 自分自身で使用する場合

私としては、ここが興味のあるところ。メリットを見いだしているから使っているケースであり、どういうメリットがあるのか、そのメリットは他の方法で実現できるのかできないのかなどなど、環境として、あるいはツールとして、TRADOSなりをどう評価するかを考えるポイントになるからだ。

3.1 訳抜け防止

TRADOSで訳抜け防止とか機械翻訳ソフトで訳抜け防止とかって話はわりとよく聞くが、それがどうして訳抜け防止になるのかよく分からなかったが……今回、Jackさんのエントリーを読んでようやく理解できた気がする。

翻訳フォーラムで10年ほど前、OCRで原稿を電子化すれば訳抜け防止になるという話題がよく出ていたが、要するに、そのレベルの訳抜け防止ということらしい。最近は届く原稿自体がほとんどすべて電子化されているため、私は電子化された原稿を上書き翻訳していく作業を基準として、それでも抜けてしまう部分を何か特殊な方法で防止しているのかと思って理解できずにいたのだ。

電子化された原稿の上書き翻訳とは……英日なら、最初は英語のファイルが目の前にある。ファイルトップに最初のセンテンスの訳文を入力したら、原文の1文を削除し、次のセンテンスの訳文を入力してゆく。翻訳途中のファイルは、上側が訳文、下側が原文で、訳文と原文が接する界面の上下には、今、訳している対象センテンスの訳文と原文が並ぶ。つまり、JackさんがTRADOSで行っていると説明された状態とほぼ同じ状態が実現されているわけだ。

私の場合、訳し終わったセンテンスの削除をマクロで行っている(SimplyTermsに同梱して公開している)。そのマクロを起動すると、1センテンスが選択された状態で「削除するか」と聞いてくる。このとき、選択・反転された部分を訳文に盛り込んだかどうかの確認を行う。Jackさんは「文章の長さも重要な指標になる」と書かれているが、そのチェックもここで行っている。

3.2 用語・スタイルの統一

これを目的にTRADOSを導入するというのは割とよく聞く話だし、それはそれでアリだろうと私も思う。

じゃあ、あんたはなぜ導入しないのかって?

私の場合は、SimplyTerms(自作ソフトウェア。ウェブに公開)による用語の一括置換でこの部分を処理しているからだ。そして、このやり方のほうが、用語レベルについては間違いなく過去訳を反映できると思うからだ。

どこが違うのか。

TRADOSは昔、雑誌の記事を書くのにしばらく貸与してもらって使っただけなので、正直、細かいことはよく覚えていないのだが……少なくとも当時のTRADOSでは、翻訳対象センテンスの中に、用語集に登録された用語があるかないかを自動的に調べて提示してくれる機能はなかった。要するに自分で検索の操作をしないと、用語集があってもダメだということ。つまり、あやしいと思うものを一つひとつ、検索しては「ある・なし」を確認しないと用語の統一はできない。やればできるんだから使うっていうのも一理あるのは確かだが。

これに対して用語の一括置換では、用語集にあるものはもれなく反映される(用語集の作り方によっては反映されないケースもある。詳しくはウェブに公開しているSimplyTermsのヘルプを参照)。ただし、「もれなく反映される」がゆえの欠点もある。文脈によって揺れる用語をたくさん登録すると、かえって効率が落ちたり、最悪、誤訳を招いたりする。あくまでツールに合わせた使いこなしが必要ということだ。

3.3 見直しに便利

ここでJackさんは、「センテンスの翻訳が終了するごとにチェックを行う」と「翻訳が完了した後は原文(英語)と訳文(日本語)を照合しながらの確認」を行う際に、原文(英語)と訳文(日本語)を並べて表示できるTRADOS(Translator’s Workbench)が便利だと言われている。

「このうち、最後に行う訳文だけの確認を除き」TRADOSが便利と書かれているということは、「分量が多く、数日~数週間を要するものであれば、毎日翻訳を再開する際に、既訳箇所を最初から読み直す」ケースでもTRADOSにメリットがあるという意味に取れるが、これはどうなのだろうと思い、上記でははずした。理由は、翻訳に数週間もかかるような大部の場合、既訳部分について、毎日、原文と訳文の対照チェックを行っていると、最後のほうは1日の大半を既訳チェックに費やすことになるからだ。ということは、基本的に訳文だけを読み、変だと思えば対照チェックということかなと思う。そうであれば、TRADOSにメリットというほどのことはないだろう。

センテンスの翻訳を終了するごとのチェック以外にも、原文と訳文の対照チェックを行うのであれば、原文と訳文をセンテンス単位の対訳形式でチェックできるのは便利だろうと思う。

ただ、私について言えば、細かい対照チェックはセンテンスを翻訳するごとにしか行わない。この部分はくり返すより、「一度しかやらない」と自分にいい聞かせて1回をしっかり行う方がいいと思うからだ。もちろん、このあたりは各人の考え方であるし、翻訳者による気質の違いなども影響するだろうと思う。

4. 「TRADOS(TW)を使うと訳文全体の流れが途切れる」という人がいる。これが私には理解できない。数日前に行った翻訳文を思い出せと言われれば、印象的な部分以外は思い出せないだろうが、その日、集中して訳してきた文であれば全体の流れ(文脈)は頭に入っている。私はTWを使ったからといって文が細切れになることはないと思っている。

この点については反論というか、いろいろと書きたいことがあるのだが、全部書くと、たぶん、えらく長くなってしまうので、今はごく簡単な指摘にとどめる。

まず、「TRADOSという環境あるいはツールの特性」として、訳文形成の流れを阻害する力は強くないと私も思う。強くないからいいとするのか、強くなくてもあるからよくないとするのかは、各人の考え方だろう。もちろん、私は後者である。

TRADOSが訳文形成の流れを阻害するかどうか、という議論は、いわば、MS Wordの動作が速いか遅いかの議論と同じようなものだと思う。Wordをいつも使っている人は、「Wordは十分に速い」と言う。秀丸などのテキストエディタをいつも使っている人は、「Wordは遅くて、一呼吸、タイミングがずれる」と言う。どちらの感覚もそれぞれの人にとっては真であり、正しい。ただ、速い・遅いを分ける閾値が異なるのだ。

TRADOS環境でも、おそらく、欧米言語間の翻訳であれば、文脈の流れ形成に悪影響を与えないだろう。その程度の阻害要因でしかないと思う。しかし、日本語は英語に比べ、格段に文脈依存性が高い。だから、TRADOS環境程度の「阻害要因」でも取りのぞいたほうがいいと私は考える。

「日本語は文脈依存性が高い」と書いたが、同時に日本語は柔軟性が高く、文脈依存性を低く書くこともできる。ただし、そうすれば、日本語らしい日本語ではなく、翻訳調の日本語になる。少なくとも私はそう考えているし、私の訳文を高く評価してくれる人たちも(意識はしていないだろうが)同じ考えなのだと思う。

このあたりについて問題ないと考える方々は、おそらく、「最後に訳文だけを通読してチェックするから大丈夫」と言われるだろう。これに対しては、「読むスピードで翻訳できれば最高の品質が得られる」という点と、いったん翻訳したモノを修正するのは難しい(他人の翻訳のチェック・リライトをしたことがある人なら分かるはずだが、80点の翻訳ができる人が40点の翻訳をリライトしても、50点とか60点のものしかできない)という点を指摘しておく。

5. 月並みな言い方だが、TRADOSも所詮は“道具”である。何とかと鋏は使いようと言うが、道具を有効に活用するのも、それに振り回されてしまうのも、要は使う人間の問題だという気がする。さらには、自分の性格や受ける仕事の内容、期日など、総合的に判断して“使わない”という選択肢も当然あり得る。私の場合は、粗忽さを補ってくれる(現在のところでは他の機能も勘案して)“他よりはベター”な(ベストとは言いたくない)道具であると考えている。

Jackさんの考え方は、「メリット・デメリットを比較して、ベターと思われるツールを使いこなす」である。これはツールを選ぶとき・使うときの基本であり、私もまったく同じ考え方でツールを選び、使っている。

自分が進みたい道を見据え、ツールのメリット・デメリットを正しく把握し、それを使いこなす実力が自分にあるかどうかを正しく評価し、その上で総合的にメリットがあると判断したツールを使うのであれば、それに対して他人がとやかく言うことではないと思う。各人が考えて選んだ道を邁進するのが一番。いろいろな人がいろいろな選択をするから、世の中、多様になっておもしろくもあり、また、いわゆる靱性が生まれもするのだし。

というわけで、なんというか、翻訳メモリについて私が警鐘を鳴らすとき、Jackさんのような人はその対象読者に含まれないんだと思う。いろいろわかって使ってるのであれば、それこそ機械翻訳ソフトだってどーぞご自由にっていうのが私の基本スタンスだし。

ただ、世の中、TRADOSを使いはじめる人のけっこうな割合が、「翻訳会社に言われた」「翻訳をするならTRADOSっていうソフトが必要らしい」「前の訳が使えて手が抜けるらしい」などなんじゃないかと、ウェブをあちこち見歩いてて感じるので、いろいろと考える点があるんじゃないのって言いたいわけだ。

そのためには、誰も言わないデメリットを指摘する必要があるだろうと。

もちろん、私の考えが大間違いだって可能性もある。誰かとの論争でそれが明らかになったら……私もTRADOSに乗り換える。たかが道具なのだから。でも、「TRADOSよりもベターな環境」があると思う間は導入しない。されど道具なので。

最後に一言。道具を使っているつもりで、いつの間にか使われていたなんていうのはよくある話。ホントのところ、道具を使っているのか使われているのか、折に触れ、確認すべきだろう(自戒を込めて)。

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コメント

訳文全体の流れについては、Buckeyeさんの訳し方を知らない人が多いことも、議論が噛み合わない原因だろうと思います。

私は講座などで、Buckeyeさんの訳文を原文と比較対照して読んだことがあります。そしてBuckeyeさんが、語順だけでなく文の順番を変えて訳すことがあることを知りました。

例えば原文が文A、文B、文Cの順でも、訳文では文C、文A、文Bの順にされることがあります。前提となる情報を前に出した方が読者が理解しやすいという配慮だと思います。

一方、TRADOSは文を順番通りに訳すことを前提としたソフトウェアです。ですから文の入れ替えも辞さないBuckeyeさんがTRADOSを使われないのは理にかなっていると思います。

尚、Buckeyeさんのやり方に関する私の理解が間違っていましたら、指摘していただけましたら幸いです。

投稿: バックステージ | 2008年7月14日 (月) 10時50分

ああ、それもありますね。そういう意味でも私の訳し方は、翻訳メモリにとって行儀が悪いかも。

そういう行儀の悪さとしては、まず、(基本は1文を1文に訳す、だけど)必要に応じて1文を2文に、あるいは2文を1文に訳すということがあります。

このあたりまでは翻訳メモリを使う場合にもやられることがあるようですけど、私の場合、文脈上、必要だと判断すれば、一部の情報をある文から別の文に移動するといったこともよくやります。対訳形式で見れば、情報を抜かれたほうは訳抜け、つけ加えられたほうは誤訳に見えるでしょう。極端な場合は、1文の内容を前後の2文に分配して3文を2文にしちゃうとか、バックステージさんが指摘されたように文の順番を入れ替えてしまうとかすることもあります。もちろん、しょっちゅうするわけではなく、ごくマレにしかしませんけど、その辺りまで常に視野に入れてはいます。ただ単に、そこまでしなければならないケースが多くはないっていうだけですから。

基本的には、文書全体で原文の意図を完全に反映した訳文になればいいので、もっと極端に変えてしまうことがあってもいいんですが……さすがに、段落をこえて入れ替えてしまったことはないような気がします。

「書籍-著書・訳書」で紹介している『セキュリティはなぜやぶられたのか』を翻訳したとき、担当の編集さんから、「原文と突きあわせて見ていると、ときどき、この原文からこの日本語は『翻訳』の域を超えちゃってると思うことがある。でも、前後まで含めてよく読むと『やっぱり翻訳だ……』と納得してしまう」というようなことを言われました。この本はその性格からかなり踏みこんで訳し、原文との対応性を下げて日本語らしくするほうを重視したバランスにしたつもりです。このコメントをもらって、狙いがほぼ実現できたのかなとホッとしたのを覚えています。

投稿: Buckeye | 2008年7月14日 (月) 14時15分

Buckeyeさん

なるほど。Buckeyeさんの場合、英文と和文が1対1で対応しているのはあくまで結果であって、目的ではないわけですね。

段落を越えて情報を入れ換えた方がいい例として、年齢があると思います。

日本語の記事では通常、ある人物の名前が初めて出てきた時、その直後にかっこで年齢を入れます。「歌手元ちとせ(29)が14日、都内のスタジオで…」といった具合です。この場合、元ちとせが若いとか若くないとかいう書き手の主観を交えず、データとして年齢を提示しています。

一方、英語の記事では文の途中で、文脈と関係なく年齢が出てきます。例えばNEWSWEEKの記事

Microsoft After Gates. (And Bill After Microsoft.)
http://www.newsweek.com/id/142672

では、まず"Bill Gates"と出てきた後で"the 52-year-old icon"と言い換えています。こういう場合、日本語ではまず「ビル・ゲイツ(52歳)」と書き、"the 52-year-old icon"を「ゲイツは」と訳すのがよくあるパターンだと思います。もちろんケースバイケースでしょうが。

上記のケースではたまたま同じ段落に両方とも出てきますが、ずっと後で年齢が出てくることもよくあります。私がかつてサッカーの記事の和訳をしていた時、こうしたことがよくありました。そういう場合、名前の直後にかっこで年齢を入れるよう翻訳会社に指示されていました。他にも同じ文章でRonaldinhoがthe midfield playerとかthe Brazilianとか言い換えられたりしていましたが、そう言う場合は最初にRonaldinhoの名前が出てきた時に「ブラジル人MFロナウジーニョが」と訳していました。要は各言語の用法に応じて訳すということなのでしょう。

投稿: バックステージ | 2008年7月15日 (火) 01時39分

専門の IT 以外に、主にエンタテインメント系の出版翻訳に携わる機会がときどきあるのですが、そのときは段落ごと入れ替えることがあります。

ごく簡単に道順を説明しているような場面でも、論理の組み立て方が違うことがあるので --- ちょうど住所表記の順序が逆になるように --- 日本語としての自然さ判りやすさを考えると入れ替えが必要になったりします。

マニュアルなどでも実は、段落ごと順序を変えた方が日本人には判りやすいだろうと思うことがあり(総論と例示の順番とか)、よほど親切心が働くときにはコメントを付けることがあります。

投稿: baldhatter | 2008年7月15日 (火) 08時49分

Buckeyeさん

初めて書込みをさせていただきます。

私のブログに関する丁寧なコメントありがとうございました。
私がBuckeyeさんの“文脈に合わせて訳文を組みたてる”という
記事の想定読者からはずれているというのは当初から気づいておりました。
ですので、あの“TRADOSを使う理由”は、その本来の目的とは
違う用途に使っているこんなTRADOSユーザーもいますよという、
サンプル提示の意味で書いたものです。

TRADOSに対する評価、翻訳に対する姿勢といったことに
関してはBuckeyeさんと私の間に大きな違いはないと思います。
ただ、「TRADOSって(功罪半ばする)こんなソフトだよ。だけど
使わざるを得ないから使っている」(私)と、「だから使わず、
必要な機能は自作ソフトで対応している」(Buckeyeさん)と、
結論部分が違っただけだと思います(相当大きな違いですが)。

翻訳の勉強をしている人、翻訳の仕事を始めたばかりの人が、
いつ頃から翻訳支援ソフトを使ったらよいか…確かに難しい
問題であり、私はあまり真剣に考えたことがないので、コメントは
差し控えますが、ことTRADOSに関しては高額なソフトでも
あり、慌てて買う必要はないということだけは言っておきたいと
思います。

なおTagEditorのプラグイン機能にQA Checkerというのがあり、
ほかにも数種類××× Verifierという機能があります。私のPC環境
ではこれらプラグインを使うことができないので、詳しいことは
分かりませんが、中には訳抜けや用語のチェックをするものもあるのでは
ないかとにらんでおります。この点、baldhatterさんならご存知
でしょうか。

余談ですが、知合いの文筆家に「ワープロは文章が荒れる」と
未だに手書きを貫いている人がいます(年齢は私よりも若いのですが)。
昔、大工はカンナが使えるようになって一人前と言われましたが、
今カンナはすべて電動です(建築業の叔父の話)。

道具とは人によっても、環境によっても、時代によっても、その必要性が
変化するのであり、(Buckeyeさんや私のように)いろいろな意見があって
当然です。

もう一つ付け加えますと、でき上がった訳文を、最終チェックの意味も含め、
通読するのを結構楽しんでいる私としては、今のTRADOSぐらいの「使い
難さ」でちょうどいいのかなという気がしないでもありません。天邪鬼な
結論で恐縮ですが、それが現在の偽らざる感想です。


投稿: Jack | 2008年7月15日 (火) 10時32分

> 中には訳抜けや用語のチェックをするものもあるのではないか

はい。たしかに QA Checker を使うとそれらのチェックが可能です。用語に関しては、原語-訳語ペアの辞書を作っておけば、それに合っていない訳語を検出してくれます。
ただし、そのときの判断ロジックがどうも曖昧なようで、検出結果は過剰になる傾向があります。足りないよりマシですが、少なくとも SDL Trados 2006(最新版の1つ前)では、実際に使ってみてあまり使い物にならない機能でした。TRADOS らしい中途半端さたっぷりの機能です。

投稿: baldhatter | 2008年7月15日 (火) 12時03分

>TRADOS らしい中途半端さたっぷりの機能です。

TRADOSのポリシーは一貫しているということですね^^;

投稿: Jack | 2008年7月15日 (火) 18時23分

QA Checkerは、SDL Trados 2007でも過剰な結果になります。
使い物になりません。
ただし、Tradosのバイリンガルファイル (Workbench RTF または TagEditor TTX)に対して、
自作でQA Checkerを作成することは可能です。

--
原文が文A、文B、文Cの順で、訳文では文C、文A、文Bの順にすることがある場合でも、
Tradosで対応できますよ。文節を拡張するだけです。拡張できない場合は、原文をコピペ
するだけです。私は頻繁に2つの原文を1つの訳文にしたり、3つの原文を2つの訳文に
したりしています。

--
Buckeyeさんのように自由自在にツールを作成できる人は、Tradosは必要ないと思います。
Tradosは、取扱説明書など頻繁に同じような表現がでてくる文章で威力を発揮します。
複数の取扱説明書で表現が揺らがないようにするには、翻訳メモリはとても便利です。
(このような機能を自作ツールで実現できる人は、Tradosは必要ありません。)
過去に翻訳したことがある文章を簡単に検索して見つける手段を持たない人にも
役に立つと思います。「2年前に同じような文章を翻訳したが、どこにファイルを
しまったかな?」と時間をかけて探さなければならない人にとっては、大変時間の節約に
なります。もう一度翻訳すればいいじゃん、と思うかもしれませんが、表現が揺らいでは
ならないような仕事ではそうもいきません。

投稿: arturo_tak | 2008年7月15日 (火) 23時02分

Jackさん、

はい、私も基本的な姿勢に大きな違いはないと思います。最後の大きな分岐点で違う道を選んだから結果が正反対になっているだけで。ですから、Jackさんがご自身のサイトに書かれたことも、考え方といったレベルでは共感することばかりでした。

翻訳メモリとか機械翻訳ソフトとかの現状について私が問題視するのは、「功罪半ばするソフトだ」という情報がない点です。「こんなにいいソフトだ」「これからは、こういうソフトが使えないとダメ」という話ばかりで、訳文を作るという翻訳者にとって一番コアな部分にどういう悪影響があるのかというデメリットの話は誰も言いません。せいぜいが「操作がややこしくて覚えるのが大変」くらいで。

私は極めて現実的な人間なので、電動カンナが席巻するならそれでもいいと思ってます。それで発注側も受注側も幸せになれるなら。

でも、発注側・受注側から漏れ出る不満の声を聞いていると、電動カンナが普及すれば不満がなくなるとはどうしても思えないのです。発注側の不満の一部(翻訳には多大なコストがかかる)は解消され、「この値段ならこのくらいでも仕方ないか」など、あきらめの境地とでも言うべき幸福くらいは少なくとも手に入れられるでしょう。いい翻訳が手に入らないという不満は解消しないかもしれませんが。このあたりが動因となり、今後も普及は進むだろうとも思います。

では、翻訳者にとってはどうなんでしょうか。技を作業の次元に落とし込むことで楽に高品質のモノを作れるようにしてくれた電動カンナと同じように幸せをもたらすのか、それとも、楽をする代償にアウトプットも落ちてしまい、やりがいや報酬など、有形・無形の得るものが減ってしまうのか。

もちろん、どんな環境でも、伸びる人もいれば伸びない人もいます。でも、環境ややり方によって、伸びる人の割合が10%のものもあれば、15%のものもあるでしょう。であれば、外的要因から必要があるわけでもないのに伸びる人の割合が10%のモノを使ってしまえば、15-10=5%の人は幸せになり損ねてしまいます。

こういう考え方をしたとき、私としては、Tradosのような環境は、幸せになれる翻訳者の割合を減らすほうに圧力がかかるのではないかと思ってしまうのです。

これが私の杞憂であれば、それにこしたことはないのですが……

投稿: Buckeye | 2008年7月17日 (木) 09時24分

arturo_takさん、

翻訳メモリが「便利」であることは、そのとおりだと私も思います。ただ、便利であれば何でもいいわけではなく、使うか使わないかの判断は(↓)を総合的に評価する必要があると思います。

・外的要因から使用が義務づけられているかいないか
・その「便利」は他の形で実現できるのかできないのか
・「便利」なだけか、不便もあるのか
・「便利」と「不便」のどちらが上回るのか

過去に翻訳したことがある文章の「検索」だけなら、grep検索のソフトが各種、それこそTradosなんかが登場する前から存在します。別に自分で作る必要なんかありません(私も、KWIC Finderというシェアウェアを使っています)。つまり、検索の「便利」は他の形で実現できます。使い勝手の違いは、たぶん、Tradosのほうが便利な部分とgrep系ソフトのほうが便利な部分があるだろうなと思います。

arturo_takさんが指摘された「Tradosでも実現できる」というのは、上記の逆、ですよね。

文章の分割位置などについて、文節拡張で対応できることは知ってます。

「可能・不可能」を言うなら、それこそ、機械翻訳ソフトを使った上で極上の翻訳文に仕上げることだって「可能」です。ただ、ノーマルにやる場合の何倍ものエネルギーが必要になるからやらないだけで。

そこまで極端ではありませんが、Tradosの文節拡張についても同じことが言えると思います。可能か不可能かという問題と、それが一般に推奨されていることであるのかは別次元の問題です。作業に携わる翻訳者が知らず知らずのうちに文節拡張をしたいと思うようになるのかなるべく拡張なしでやりたいと感じるようになるのかも、また、別次元の問題です。

ツールについて、私は、「知らず知らずのうちに」が一番怖いと思っています。ツールを使っているつもりがいつの間にか使われていた、となるからです。

投稿: Buckeye | 2008年7月17日 (木) 09時26分

> Tradosのような環境は、幸せになれる翻訳者の割合を減らすほうに圧力がかかるのではないかと思ってしまうのです。

そもそも翻訳支援ツールって、「翻訳者が翻訳(と翻訳者)のことを考えて生まれた道具」ではなく、「発注側が考える翻訳の効率化を前提に開発された道具」ですからね。原理的にコアな部分で翻訳者の「ため」になるはずのものではありえません。

投稿: baldhatter | 2008年7月17日 (木) 16時17分

「訳文のリサイクル」のような誤った信仰がいまだにはびこっているのは、ツール講習会での教え方にも原因があるのではないでしょうか。もしかしたら、翻訳会社がやっている新人翻訳者向けのスクールでは、「85%一致なら、差分の15%分だけを翻訳すればいいんですよ」と教えていないでしょうか。だって、翻訳会社は、その1文については15%分しか支払いませんから。

たとえそう教えられたとしても、しばらく仕事をするうちに、「こんなやり方ではダメだ(安く使われるだけだ)」と翻訳者自身が気づかなければいけませんね。気づいて変えていかなければ。そうでなければ、安定した成功も幸福も手にすることはできないでしょう。

投稿: Jenny | 2008年7月18日 (金) 09時51分

書こうか、書くまいか、迷ったんですが、書くことにしました。

えっと、arturo_takさんが書かれた、「Buckeyeさんのように自由自在にツールを作成できる人は、Tradosは必要ないと思います」についてなんですが、ここが、Buckeyeさんのブログなんだから、Buckeyeさんに言及するのは当然といえば当然ではありますが、議論としては、それではおさまらないわけです。

そういう人がこしらえてくれたツールを利用させていただく/気づいた点を、こしらえた人にフィードバックする/新しい使い方を紹介しあう……そういうシェアウェア・フリーウェア文化というのが存在するわけです。この場合だったら、翻訳文化といった方がいいと思いますが。

自分が主人公になれるツール、自分がやりたい仕事のやり方を実現できるツールを使うことって、仕事の根幹にかかわることなんだと思います。

私は、自他ともに認めるローテクな人ですが、シェアウェア・フリーウェア文化の金魚のフンのそのまたシッポで(翻訳フォーラムのみなさんにテトリアシトリ教えてもらった結果ということですが<多謝)過去のジョブを現在の仕事に生かせていると思いますよ。

投稿: Sakino | 2008年7月18日 (金) 11時29分

baldhatterさん、

そもそもまで遡ってしまうと、そういう話になっちゃうんですよね。私が「一部翻訳者にとって必要悪」って言うのも、そのあたりが根底にあるからですし。

「たかがツール」ですから、上手に使えば翻訳者が幸せになれるんならそれでもいいんですけど。秀丸もWordもIMEも、別に翻訳者のことなんて考えて作られていませんけど、上手に使えば小さな幸せを運んでくれるわけで。

投稿: Buckeye | 2008年7月18日 (金) 21時57分

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