辞書-信じるはバカ、引かぬは大バカ
前にどこかの誰かから聞いた言葉。至言だと思う。
たかが辞書。信じるはバカ、引かぬは大バカ
ネットで調べると引用元として出てくるのが私と山岡さんくらいのようなので、私も山岡さんからお聞きしたのかもしれない。
翻訳業界ではそれなりに知られた格言らしいが、ネット検索してもあまり出てこないということはそれなりにしか知られていないのだろう。だから改めて紹介しておこう。
■信じるはバカ
翻訳者間の質疑で、「なぜこういう訳語にしたのか」と聞かれ、「辞書にあった」などと回答する人がときどきいる。これを翻訳すると、(↓)のようになる。
質問:たくさんある語義の中から、なぜ、この語義を選んだのか
↓
回答:たくさんある語義の中にこの語義があったから
あるいは
質問:このような語義を表す言葉はたくさんあるが、
その中から、なぜ、この単語を選んだのか
↓
回答:この単語が辞書に書いてあったから
「辞書に書いてあった」というその一点をもって、意味内容も前後の文脈も考えずに採用しました、というわけだ。もっとも簡単な「信じるはバカ」の例だが、残念ながら、けっして珍しくない間違いでもある。
もう少し進んだ「信じるはバカ」は、一応、意味内容や前後の文脈を考えて訳語を選びはするが、辞書に書かれていない訳語を使わないケースか。辞書の使い方は、内容を読んでその単語なり熟語なりの意味範囲を把握するとともに、そこに書かれている訳語を参考として、組みたてる訳文にぴったりの訳語を考えるというもの。辞書の訳語はヒントにすぎないと考えられずに辞書を信じてしまうと、辞書にない言葉が使えず、ちぐはぐな訳文ができてしまうのだ。
■引かぬは大バカ
そうかと思えば、辞書を引きもせず「ああかもしれない、こうかもしれない」と考えの袋小路に陥る例もよく見かける。とりあえず定番の辞書を引いてよく読めば、いろいろなヒントを見つけられることが多いし、そのものズバリが載っていることもあったりするというのに。
よく分からないとき、まずは辞書を引いてみる。プロの翻訳者であれば、クセにしておくべき基本動作だと思う。
■ウェブも同じ
最近だと、「辞書」→「ウェブ」とするのもありだろう。
たかがウェブ。信じるはバカ、調べぬは大バカ
ウェブの情報は玉石混交なので取捨選択が難しい。ヒットがあったからと信じてはいけないが調べないのは問題外である。どういう条件の情報なら信じてよくてどういう条件の情報は疑うべきか……一言で表すことはできない。たくさん検索し、たくさん悩んで体得するしかないと思う。
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コメント
ちょっとレベルの低い話になりますが、クライアントが支給する用語集でも事情は同じですね。
「なんでもかんでも用語集どおりの訳語にする翻訳者がけっこういて困るので、最近はエントリをどんどん減らしている」と担当者が愚痴っている大手 IT 企業がいくつもあります。
投稿: baldhatter | 2008年7月25日 (金) 19時37分
「そこに山があるから」が名言になるのは、文脈ゆえか^^;。(オソマツサマデシタ^^;)
投稿: Sakino | 2008年7月27日 (日) 12時10分
「引いてて良かった~」と思ったことは数知れず…。普通に使われる単語ほど特別な意味で使われていることや実は業界での専門用語であることなどに気付きにくいものですが、なんだか意味がへんだな~と思ったら、とにかく調べてみることですね。たいてい自分が知らなかった意味であることが多いです。
最近では、"the buck stops here"という表現を不勉強ながらもう少しで誤訳するところでした(^^;。予算関連の会話文だったのでお金の話とかけた発言でもあったのだと思いますが、たまたま同時期に翻訳していた別の文書でも同じ表現が使われていたために、あれっ!と気付いて調べ、意味を知った次第です。
投稿: スプラウト | 2008年7月31日 (木) 21時36分
みなさん、
半ば夏休みでブログがほったらかし気味になってしまいました。すみません。
翻訳関連の記事ではよく、「専門用語の訳をきちんとすることが大事」などと書かれますが、私は、「専門用語は楽な部分。難しいのは一般的な単語」だと思ってます。
一般的にも使われている単語の場合、専門用語だと気づきにくいということはありますが、とにかく、専門用語なら訳語を見つけて(必要なら考えて)固定すればいいだけのことです。それに対して一般的な単語は意味範囲が広く、文脈によってさまざまな意味を持ちますし、やはりコメントをいただいた"substitute"のようにニュアンスが伝えにくいものもたくさんあったりします。
念のための辞書引きというのは、大半が無駄骨に終わるのですが(「念のため」ですから)、でも、100回に1回とか1000回に1回とか、念のために辞書を引いてよかったと思うことがありますよね。そういうことがあるので、マクロを使ってキー一つでCD-ROM辞書を串刺し検索するという今の形なしで翻訳の作業をする気にはとてもなりません。いちいち、紙の辞書を引いていたらいやになるでしょうし、検索窓にいちいち入力するだけでも無精な私はいやになりそうです。
クライアント支給の用語集でbaldhatterさんが言われるような問題が起きるのは、「文脈に合わせて訳す」という大前提を忘れている人が多いからなんでしょうね。「文脈からここは専門用語だ」となれば用語集なりの訳語が優先されることが多いはずですが(それでも「多い」に過ぎないのが本当だと思う)、「文脈からここは一般用語だ」となれば、ぜんぜん違う訳語になるのは当たり前なんですけど。
投稿: Buckeye | 2008年8月15日 (金) 08時32分
ずいぶん前の記事ですが、コメントさせていただきます。
主に翻訳チェックをしている者です。翻訳業開業2年になります。
「辞書に書かれていない訳語を使わないケース」というのは心当たりがあって、今でも毎回悩みます。
英和辞典を調べ、ネットで探し、それでもしっくりくる訳語がないケース。一人でチェックするようになって一年目くらいの頃に初めて自分で考えた訳語を使いました。一応訳語を考えて、その訳語が単語の意味からはずれていないか、慣れない英英辞典で探し、関係ありそうな記述をにらんでまた悩む。
最後はえいっ、という感じで決めましたが、背中がぞくぞく、悪寒がするような感じでした。クレームがくるのではないかという恐怖だったと思います。
そのとき、英文和訳でも、語義を知るために、英英辞典を使う必要性を感じました。しかしながら、なかなかそこまで悩んでいられないのが悩みです。
今は、英和辞典(主要な大辞典4種と中辞典数種)、ネット、国語辞典(大辞典と中辞典)をみて訳語を決めることが多いです。
当然ですが、専門用語の訳語は、専門の辞書、書籍、専門家が書いたネット上の記載を見て決めています。
改めて、「辞書に書かれていない訳語」を使うのは、今でも怖いです。辞書に載っていたとしても、誤った選択をしてしまったら誤訳になることには変わりがないのに、やはり権威あるものに頼りたいということなのだろうかと考えてしまいます。
投稿: びん | 2014年12月 2日 (火) 16時21分