運も実力のうち
「運も実力のうち」という言葉がある。私はこれを、(↓)のように表現することが多い。
巡ってきた運をつかむには実力が必要。さらに言えば、運とは呼び込むものであり、どの運を呼び込むのかも実力。よって、「運も実力のうち」なのだ。
アルファブロガーと呼ばれる小飼弾氏は、「運も実力のうち」の解釈は、
- 成果 = 運 + 実力
と言われることが多いが、そうではなくて
- 成果=実力(運)
のように、運を入力パラメーターとした関数なのだとするエントリー(「成果 ≠ 運+実力」)を書いておられた。巡ってきた運をどう料理するのかも実力のうち、ということだろう。
うまいことを言うなぁと思いつつ、じゃあ、その関数、自分ならどう表現するかなぁと考えてみた。とりあえずのたたき台としては(↓)かな。
- 成果=(才能×努力)×運
「成果」が「運も実力のうち」などと言うときの実力、結果として表れる広義の実力。これに対し、(才能×努力)が狭義の実力。
狭義の実力をつけるには、才能と努力の両方が必要。ダイヤモンドの原石も磨かなければただの石などと言われるように努力がなければ力は伸びない。じゃあ、努力すれば誰でも一様に伸びるのかと言えば、伸びが速い人と遅い人がいるのは歴然とした事実。そのあたりが才能と言われるものなのかな、というわけだ。
狭義の実力があっても運がなければ大きな成果は出ない。でも、運が巡ってきたとき、狭義の実力がなければその運をつかめず、大きな成果は出ない。上の式に現れる項のうち、自分の意思でどうにかなるのは「努力」のみ。だから頑張るしかない……
うーん、それなりにいい感じはするんだけど、「運とは呼び込むもの」が表現されない点がイマイチ。
とここまで書いてきて、ふと気づいた。「人の世に偶然などない。あるのは必然だけ。だから、その中で自分が何をするのかだけが問題になる」という姿勢が自分の考え方の基本になっているらしい。つまり、そもそも「運」という言葉を使うこと自体、無理があるということか。
「運」というのは、「幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき」(@広辞苑)と、自分の力が及ばないものというのが定義だから。
今後は、「運も実力のうち」と言うの、やめようかな……
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