「稼げる」ことにこだわる理由
私は、「翻訳者とはどのくらい稼げるのか」にけっこうこだわる。
「頂は高くなければならない。すそ野は広いほうがいい。」で書いた「頂の高さ」は、あくまで翻訳の力を指すものであり、収入の多さを指すものではない。それなのに「稼げる」ことにこだわるのか、それは矛盾だと思う人もいるかもしれない。そんなことはない。私が言う「稼げる」とは「翻訳の力が高い人が稼ぐ気になれば稼げる」なのだから。
こだわる理由は大きくふたつ。ひとつは、「稼げる業界でないと優秀な人が入ってきてくれない」から。もうひとつは、「稼げないと稼がない選択ができない」から。
「稼げる業界でないと優秀な人が入ってきてくれない」は当たり前だろう。
もちろん、翻訳業には、自分の仕事を自分で決められる、時間的な融通がききやすいなど、お金以外のメリットが数多くある。個人事業者であり、まがりなりにも一国一城の主なのだから。でも、稼ごうと思っても稼げない業界だったら……お金以外に価値を見いだす人しか翻訳業界に来てはくれない。優秀な人なら、たぶん、翻訳以外にもさまざまな方法で稼げるはずだ。そのとき、やりがいその他の条件がまったく同一だったと仮定すると、翻訳でない仕事のほうが稼げるなら、そちらに行ってしまうだろう。
そして優秀な人が入ってきてくれなければ……いつまでたっても頂が高くならない。そして、いつまでたっても、「優秀な翻訳者が足りない」という現状を変えることができない。
「稼げないと稼がない選択ができない」は少しわかりにくいらしい。
がんばれば目標年収よりも多くを稼げるのであれば、稼ぎを目標年収におさえ、残りの時間とエネルギーは生活の余裕なり趣味なり子育てなりなんなり、自由に使うことができる。もちろん、がんがん稼いで欲しいモノを買うもよし、早期退職するもまたよし。要するに、各人の選択の幅が広がる。
しかしどうがんばっても目標年収よりも実際の稼ぎが少ないのであれば、とにかくがんばって稼ぐしかない。「休みを取れば仕事がなくなるかも」とおそれ、常に連絡が取れるように保つとともに打診があった仕事は断らず、睡眠時間を削ってでも仕上げるということになりかねない。
両者を比べたとき、前者のほうが幸せであるという考えに異議を申し立てる人はいないだろう。
そんなわけで、正しい努力をすれば報われて「稼げる」ようになる業界となって欲しいと思うし、後輩翻訳者には「稼げる」方向へ歩んでいって欲しいと思う。そうなれば、稼ぐか稼がないかを個人が選択できるようになるのだから。
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