« 原文は親切に読む。訳文はいじわるに読む。 | トップページ | 「稼げる」ことにこだわる理由 »

2008年5月13日 (火)

頂は高くなければならない。すそ野は広いほうがいい。

専業翻訳者として独立後、1999年、@niftyにあった翻訳フォーラムというもののマネージャーを前任者から引き継いだ。その後、翻訳フォーラムの運営にずっとかかわっている。@niftyがフォーラムシステムを廃止したあとは、当時からの仲間とふたりで翻訳フォーラムを共同主宰している。

それはともかく。

コミュニティ運営をするとき、誰かのコミュニティで発言するとき、JTFの理事会などでアレコレ言うとき、私は、「翻訳者の福祉向上に役立つかどうか」を基準に物事を考えることにしている。翻訳者という職業をしている人たち全体にとって幸せを増やすことなら進めるし、減らすと思われることならやらないというわけだ。

全体と言うのは簡単だが、一部の翻訳者にとってプラスなことが他の一部にとってはマイナスだったりするので現実はややこしい。こういうとき、私が拠り所にするのが、次の考えだ。

-頂は高くなければならない。すそ野は広いほうがいい-

翻訳に限らず、スポーツでも何でもそうだと思うのだが、トップのレベルは高くなければならない。その理由には、世間の認知という側面から、職業的に成立するかという側面、また、新しい人がどの程度流入してくれるかという側面など、さまざまな側面があるが、ともかく、トップ(頂)は高くなければならない。

なお、ひとつの業界には、さまざまな頂が存在しているはずだと思う。つまり、一つの山ではなく、山地や山脈といったイメージだ。それぞれの頂はあるひとつの価値について極めたところだから、複数の頂を比較してどっちが上か下かという議論は意味がない。各個人が、どの頂を目指すのかをしっかりと選んで歩けばいいだけだ。

天才的な人が突然現れたりしてトップが高くなることもあるが、そういう例外を除けば、基本的に、すそ野が広くないと頂が高くなることはできない。ところが一方、すそ野が広ければ頂が高くなるかというと、そうとは限らない。すそ野から入ったフツーの人が上にあがっていくとき、少なくとも、その範となる高い頂が見えていなければ高みに登ることは難しいからだ。

自分がよく知っているものとして、フィギュアスケートを例にとりあげる(私は昔、フィギュアスケートの選手だった)。今、世界のトップは、女子でも3回転ジャンプを全種類飛ぶのが当たり前。男子なら3回転半も飛べて当たり前、上位なら4回転も当たり前だ。でも、私が選手をしていたころは、男子でも3回転を全種類飛べたらすごいと言われていたし、3回転半は世界で初めて飛ぶのは誰だという競争を男子がしていた。さらに前、私が競技生活に入ったころは(札幌五輪のころ)、3回転が1種類でも飛べる人は男子でさえ数えるほどしかいなかった。

フィギュアスケートの場合、それこそ札幌五輪のころから道具はほとんど変わっていない(進化のしようがないのだろう)。氷も当然同じ。人間だって、同じ。

それなのに、こうして頂がだんだんと高くなったのは、すそ野から入った人が、当時の頂を見て、「ああなりたい」と練習を積むからだ。そして先輩方の背中を見ながら練習すれば、実際、そのくらいまでは行けたりする。私でさえ、選手時代の最後のころの力は、自分がフィギュアスケートを始めたころの日本のトップクラスに迫るくらいまで行った。逆に言えば私は凡庸で頂を高くできなかったわけだが、一部にはさらに高いところまで行ってしまう人がいて、そういう人たちが頂を押し上げてくれる。そしてまた、そういう人を見ながらすそ野からスタートした人が頂に来るころには、頂がまた一段、高くなる。

頂が低いと、すそ野からスタートした人が行きつける高さも低いものに終わる。もちろん、人によって到達できる高さはいろいろな理由で異なるわけだが、それでも、頂が高いほど、すそ野から入った人たち(って、みんなそうなのだが)が到達する平均的な高さが高くなる。

大学生からフィギュアスケートをはじめても日本のトップになんかなれないのは当たり前だ。それでも、今、大学に入ってからはじめ、ちょっと上手になった人なら、私がフィギュアスケートをはじめたころの国体なら優勝するかもしれないくらいまで行けてしまう。今ならたいしたことのないレベル、たった2~3年で到達してしまうレベルでも、ン十年前ならごく一部の人が10年も15年もかかってようやく到達したレベルだったわけだ。その違いは、基本的に、練習時に見る頂の高さが違うからだと私は思う。

指導法の進歩もあるが、それもまた、頂の上昇に合わせて進化したものだと思う。

だから、「頂は高くなければならない」。頂が低かったらすそ野の底上げも難しい。みんな「このくらいでいいんだ」と低いレベルで満足してしまうからだ。

では頂さえ高ければいいのかというと、そういうわけでもない。天才的な人が1人、ずば抜けたトップでいても(伊藤みどりちゃんなんか、そうだったと思う)、それに続くすそ野が狭いと頂がさらにあがっていくことは難しいし、短期的には下がってしまうこともある。どのくらい努力するかは人によって異なるし、努力がどのくらい成果に結びつくかも人によって異なるわけで、数多くの人が努力しなければ、力のつく人が出てこないのは当たり前だと思う。

というわけで、「すそ野は広いほうがいい」なのだ。

業界全体として考えるなら……高い頂に向けて進むという道がなくならない、わかりにくくならない方法で、すそ野を広げることはどんどん進めた方がいい。逆に、頂が低くなってしまうような方法ですそ野を広げるのはやめるべきだ。それくらいなら、すそ野なんか広くならないほうがいいと私は思う。

|

« 原文は親切に読む。訳文はいじわるに読む。 | トップページ | 「稼げる」ことにこだわる理由 »

翻訳-業界」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111098/41195964

この記事へのトラックバック一覧です: 頂は高くなければならない。すそ野は広いほうがいい。:

« 原文は親切に読む。訳文はいじわるに読む。 | トップページ | 「稼げる」ことにこだわる理由 »