勝ち残る翻訳者-高低二極分化する翻訳マーケットの中で
この投稿は、2001年秋に行われた日本翻訳連盟の翻訳祭、有料セッションにおける私の講演の要旨です。内容的には古くなっていないというか、古くなりようがない根本的な話ができたと自負しています。
日本翻訳連盟からは、自分のウェブサイトで自由に使ってよいとの許可をいただいています。
このときの翻訳祭は、全体のテーマが↓でした。
「勝ち残る翻訳」-大競争時代を生き抜くために-
これにあわせて、講演の題名は、ちょっとセンセーショナルに「勝ち残る翻訳者-高低二極分化する翻訳マーケットの中で」としました。といっても、内容的にはごくごく普通のことしか話していませんが。
=========================================================
勝ち残る翻訳者-高低二極分化する翻訳マーケットの中で
翻訳マーケットと翻訳作業を取り巻く環境の変化を踏まえ、翻訳者が取るべき方向性を考える。
■1.翻訳マーケットの現状と翻訳業界
長期不況などもあって、対ソースクライアント価格と翻訳者への支払レートの両方ともかなり低下した。この結果、翻訳業界の大部分は「安い単価で大量に翻訳して稼ぐ」に向かっている。しかし一方、規模は小さいが、業界相場より高い値段で取り引きされる高品質・高価格マーケットも存在する。
つまり、おおざっぱに言うと、翻訳マーケットは、安価で品質はそれなりの大きな市場と高品質・高価格の小さな市場に二極分化しつつある。
このような状況では、大量翻訳者と高品質翻訳者が勝ち組翻訳者の両極になる。
■2.大量翻訳者への道
量の追求ではツールの使いこなしがポイント。適切なツールを導入すれば、比較的短期間で、誰でもある程度の効率(収入)アップを実現できる。業界全体がこの方向に流れているし、翻訳メモリなどのツールによって実現のハードルがかなり低くなったので、個人翻訳者にとって、量の追求は魅力的な道に見えることが多い。
翻訳支援ツールはたしかに便利だが、その一部に、クセが強く、翻訳者としての成長を阻害したり、スキルダウン(翻訳能力の低下)の原因になったりしうるものがあるので注意が必要。
紙と鉛筆で翻訳をしていた昔から、ワープロ・パソコンを使うようになり、電子辞書、インターネットと、翻訳で利用するツールはどんどん便利になってきた。しかも、これらのツールは、便利さ・効率の向上と品質の向上を同時に果たしてくれるものばかりであった。このようなツールは、人間が不得意な作業を代わりにやってくれるものだったからだ。
しかし、最近普及しつつある翻訳支援ツールには、功罪両面を持つものが多いと感じる。
翻訳の基本に立ち返ってみよう。翻訳を教える人たちは「翻訳者になるためにはいい文章を大量に読むこと」が必要だという。ところが、機械翻訳ソフトをツールとして使うと、ソフトウェアが出力したおかしな訳文を、毎日、大量に読み続けることになる。この状況のもとで言語感覚を正しく保ち、さらに磨きをかけていくことがどうしてできるだろうか。TM(翻訳メモリ)には、TM構築時の訳がまともなら、そこまでのリスクはない。しかし、作業上、どうしても1文単位で考えがちになるため、注意しないと文脈を読み取る力が低下する危険がある。また、訳す必要がない100%マッチの文章は読み飛ばして、翻訳対象となった文章だけを訳してしまいがちだ。100%マッチ部分は料金だって支払われないのだから。
翻訳支援ツールを使う際の翻訳者の意識にも、落とし穴が潜んでいる。
効率向上を目的にツールを導入するのだから、時間と手間をなるべくかけないで仕上げようとするのは当然のことだ。そのため、「なんとか理解可能」というレベルで納品しがちになる。しかし、原文を読んでいる翻訳者がなんとか理解可能と判断したレベルは、訳文だけを読んだ人には理解不能なことが多い。このように不十分な品質を十分だと判断し続ければ、スキルアップしないだけでなく、品質判断の力が狂ってスキルダウンしてしまう。
スキルアップは薄紙を重ねていくようなもの。毎日、1文1文を大切に訳していくことを長期間継続することでしか実現できない。一方、スキルダウンはほんの何年かで急速に進行することがある。そして、いったん落ちたスキルを元に戻すのは、落ちるのに要した期間の何倍もの時間がかかると覚悟しておいたほうがいい。
だから、いったんスキルダウンしたら、高品質・高価格マーケットに参入する道は閉ざされてしまう。一方、低品質・低価格・大量というマーケットは、ツールの進化に伴い、今後さらに料金が低下することが予想される。翻訳ソフトに仕事を奪われる危険性も否定できない。
■3.高品質翻訳者への道
質の追求は時間がかかるだけでなく、その間、処理量が増えにくい。そのため、短・中期的に収入が伸び悩むだけでなく、収入が低下してしまう可能性もある。道としては、つらいものと言えよう。
高品質を実現するためには、質の向上を常に心がけ、1文1文を大切に訳していかなければならない。前述のように、「質より量」という誘惑に負ければ、スキルダウンが待っている。それどころか、「今の品質を保てばいい」という消極姿勢になっただけでスキルダウンが始まる。言葉は生ものでどんどん変化するのだから、自分が立ち止まるということは、置いて行かれてしまうことに等しい。
しかし、高い翻訳スキルを身につければ、翻訳業界がある限り、勝ち組として活躍することが可能である。同料金ならより高品質のほうが好まれるのは当然で、高い品質の訳文を生み出せる人に相対的に高料金の仕事が集中するという業界構図は変わらないからだ。「安価で品質はそれなり」という市場においても、その中の比較的高料金の仕事が高品質翻訳者に集まるのだ。
さらに、高品質・高価格マーケットに参入できれば、大幅な収入アップが可能となる。前述のようにこの市場は小さいが、個人には充分すぎるほど大きいので仕事量の心配はいらない。
■4.勝ち残る翻訳者とは?
翻訳業界が、今後、どのように変化していくかを正確に予測することは不可能だ。だから、翻訳者として長年活躍したければ、現在の業界トレンドに適応するだけでなく、将来、どのような変化があっても勝ち残れる力を蓄えておく必要がある。つまり、「訳す」スキルを磨き、高品質翻訳を生み出す力を身につけるのだ。その上で、大量に翻訳できればベストである。
結局、翻訳者が翻訳者たる所以の部分で強い力を持つ翻訳者が勝ち残る。
■5.講演後の質疑
講演後の質疑では、料金などの業界事情などについて、具体的な質問がいろいろと出ました。その辺りは翻訳フォーラムの会議室ではよく出る話なので割愛し、とある翻訳者から出された以下のコメントだけ、ここでご紹介しておきます。このコメントの最後のような言葉が出てくるということは、誘惑に負けてスキルダウンする翻訳者が多いことの証左だと言えるでしょう。
コメント概要
===============================================
翻訳業界は、
- 安価で品質はそれなりの大きな市場
- 高品質・高価格の小さな市場
という二極に、以下を加えて三極分化している。
- 予算消化などで出てくる、誰も読まない文書の翻訳
翻訳会社は、このような文書について、翻訳会社社内で一所懸命、手を入れたり、翻訳者に対して品質がどうこうと文句を言わないで欲しい。そのような品質をクライアントが望んでいないのだから。
===============================================
これに対して私は、以下のようなことをお答えしました。
クライアントが高い品質を望んでいない案件、予算消化で縦が横に・横が縦になっていさえすればいいという案件があるのは事実。たしかに、それを入れて三極化と考えることはできるだろう。
そのような案件について私が翻訳会社に望むのは、まともな翻訳者には出さず、駆け出しで初めて仕事をする人たちに振って欲しいということ。また、中堅クラス以上の翻訳者は、「品質は悪くていい・気にしなくていい」という案件が来たら、「駆け出しに回してくれ」と断って欲しい。このような取り扱いをすれば、中堅クラス以上の翻訳者の手が荒れるのを防ぐと同時に、駆け出しクラスにトレーニングの機会が与えられて、一石二鳥になる。
| 固定リンク
「翻訳-スキルアップ(総論)」カテゴリの記事
- 翻訳の方向性について(2018.06.07)
- 機械翻訳の懐疑論者は大きな見落としをしているのか~見落としの見落とし~(2014.06.19)
- 不実な美女か貞淑な醜女か(2012.10.05)
- 翻訳作業時間モデル(2009.11.07)
- 翻訳は何から学ぶべきか(2011.06.29)
「翻訳-イベント」カテゴリの記事
- 翻訳者視点で機械翻訳を語る会(2019.01.23)
- 翻訳フォーラムシンポジウム2018――アンケートから(2018.06.06)
- 翻訳フォーラムシンポジウム2018の矢印図――話の流れ、文脈について(2018.05.31)
- 翻訳フォーラムシンポジウム&大オフ2018(2018.05.30)
- 翻訳メモリー環境を利用している側からの考察について(2018.05.09)
コメント
山岡洋一さんの翻訳通信からこちらにきました。「低品質・低価格・大量というマーケットは、ツールの進化に伴い、今後さらに料金が低下することが予想される。翻訳ソフトに仕事を奪われる危険性も否定できない。」というのは、私も同感です。
平岩大樹
投稿: 平岩大樹 | 2005年10月19日 (水) 23時34分
平岩さん、
事業展開という観点からは、このような状況の中で、他人に先駆けて機械化をすすめ、人よりも大量にこなして稼ぎを増やし、「低品質・低価格・大量というマーケット」の仕事がなくなったら翻訳の仕事をやめるという考え方もあります。もうあと数年か、せいぜい10年しか仕事をしないつもりなら、そういう仕事のやり方にも一理あるかもしれません。
ただ、まあ、そんなやり方をして面白いのだろうか、仕事のやりがいはある
のだろうかとは思います。そちらを選んだ人からは余計なお世話だと言われ
ると思いますけど。
もちろん、長く続けたいと思う人にはとうてい勧められません。仮にマーケットが続いたとしても、翻訳者として燃え尽きてしまうと思いますので。
投稿: Buckeye | 2005年10月24日 (月) 08時41分
やはり「あと数年か、せいぜい10年」と認識されているのですね。館長ブログへのコメント書き込み、ありがとうございました。
投稿: 平岩大樹 | 2005年10月25日 (火) 17時47分
「やはり」というのはどういう意味で「やはり」なのでしょうか。
一応、いろいろな意味からこういう言い方をしているのですが、他の人にどういうふうに受け止められるのかの一例として教えていただけると幸いです。
投稿: Buckeye | 2005年10月27日 (木) 09時15分