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2005年7月27日 (水)

誤解されやすい翻訳業界の常識-訳文に、翻訳者の解釈を入れてはならない

翻訳者は原文の著者と訳文の読者をつなぐ無色透明な存在であり、訳文に、翻訳者の解釈を入れてはならないと言われる。

これは、ある意味、正しいと思う。ただし、正確に書けば↓になるという意味でだが。

積極的に解釈することによってのみ、「翻訳者の解釈が入らない訳文」ができる

■翻訳と解釈の関係

解釈したら解釈が入らない訳文にならなくなるって? そう思った人には、逆に、解釈なしでどうやって翻訳するのかとたずねたい。解釈なしには一文も訳せないからだ。いや、一語たりとも訳せない。

一般に、「訳文に、翻訳者の解釈を入れてはならない」が主張されるとき、主張する人がめざしているものは「字面訳」であることが多い。翻訳段階での解釈を避ければ、機械的な英文和訳的な字面訳にせざるをえないからだ。

では、字面訳なら、英文和訳なら「解釈なし」なのか? ひとつの単語には複数の意味がある。その中から訳文に使った意味を選んだのはなぜ? 同じ意味を表す訳語もさまざまあるはずだが、その中から訳文に使った単語を選んだのはなぜ? 専門用語だから定訳にしたという場合でも、それが一般的な言葉ではなく、専門用語だとしたのはなぜ? すべて、訳した人の解釈なのだ。

たとえば、"president"という単語。これを「社長」とするか「学長」とするか、はたまた「大統領」とするのか、あるいは、固有名詞の「プレジデント」とするのか……まだまだ選択肢は山のようにある。どれを選ぶのかは……解釈しだいだ。

同じようなことを、「真の事実とは主観のことなのだ」と、本田勝一氏が『事実とは何か』で書いている。

===========手元の朝日文庫では20ページにある段落
再検討の結果明らかになったのは、いわゆる事実-絶対的事実というものは存在しないということです。真の事実とは主観のことなのだ。主観的事実こそ本当の事実である。客観的事実などというものは、仮にあったとしても無意味な存在であります。一見逆説的に見えるかもしれませんが、限られた紙数のなかでかんたんに説明すれば、それは次のような意味です。
===========

目の前にある事実を他人に文章で伝えようとしたとき、主観を排除するならすべてを伝えなければならない。戦場の様子として、最後は土の土壌学的なことまですべて。その一部を選んだら、その瞬間に主観になるといった説明が続く。つまり、現実問題として、事実を伝える文章も、すべてが主観であり、主観的事実が本当の事実だというわけだ。

■解釈なしには一語たりとも訳せない

「解釈なしには一語たりとも訳せない」という意識を持つ翻訳者は少ないらしい。だから、たとえば、「翻訳者永江の情報発信」というブログの「みんなひとりぼっち= 意訳?直訳?誤訳?」にあるように、解釈を
====================================
そこには原作者の意図を「解釈」するという「おせっかい」「余計」「不確定」なプロセスが加わっていて、原作者の表現を忠実に(他国語で)再現するという翻訳者の役割を超えた越権行為
====================================
だというような表現が出てきてしまうのだと思う。

 ◎余談

この記事は、いかにも、解釈を排除した、いわゆる「字面訳」を推奨しているかのように書かれている。しかし、このブログを書いている永江氏は、おそらく、「翻訳者が勝手な解釈」をした、いわゆる「勝手訳」を批判しているのではないかという気がする。そう解釈しないと矛盾することが言葉の端々に書かれているからだ。

■「翻訳者の解釈が入らない訳文」とはなにか

つまり、「翻訳者の解釈が入らない訳文」などありえないのだ。それでもなお、この言葉には一理があると思う。「翻訳者の解釈が入らない訳文」=「原著者の意図がすべて正しく読者に伝わる訳文」だと考えればいいのだ。

そのために必要なことは、まず、「正しく解釈する」である。そして、正しく解釈するためには、言語的なことがらはもちろん、原著者の意図から対象読者、周辺知識にいたるまで、きちんとおさえなければならない。これがつまり、冒頭に書いた「積極的に解釈することによってのみ、『翻訳者の解釈が入らない訳文』ができる」ということだ。

翻訳という作業は、きちんと解釈し、理解した内容をターゲット言語で正しく表現しておわる。正しい表現といっても、もちろん、ものすごい数のバリエーションが可能である。そのうち、訳文として自然である範囲の中で、比較的、原文の構造なりに近いものがあれば、それを訳文とする。原文構造に近づけた結果、正しく翻訳するという本来の目的が達成できなくなるなら、原文とは似ても似つかない訳文になることも考えられる。なお、このような経緯でできたのであれば、それは、直訳・意訳という問題ではなく、「字面訳を避けて翻訳した」と言うべきだ。

■原文を解釈しきれなかったらどうするか

訳者は積極的に解釈すべき、極限まで解釈すべきという私の考えの対極にある考え方も、翻訳業界ではよく聞く。その分野の専門家でもない翻訳者に完璧な解釈・理解などできない、だから、下手に解釈しようとして誤訳するより、解釈を避け、原文をなぞるように訳すべきだという主張である。

ぱっと見たところ、一理ありそうにも聞こえるが、解釈を放棄するのは、翻訳という仕事自体を放棄することに等しいと私は思う。先の"president"の例で言えば、どれにしたらいいのかわからないので「プレジデント」と音を表しておき、あとは読者に判断してもらうという行為になるからだ。「ここは『プレジデント』じゃなくて『頭取』でしょう」と指摘されたら、「少し考えればわかることじゃないか」と反論するのだろう(実際、こういう話を聞いたことが何度もある)。「少し考えればわかる」ことなら、その少しを考え、「考えなくてもわかる訳文にする」のが訳者の仕事だろう。

一方、「その分野の専門家でもない翻訳者に完璧な解釈・理解などできない」「翻訳者が解釈を間違えば誤訳になる→意図が正しく伝わらない」という言葉にも一理ある。ではどうしたらいいのか。

「完璧な解釈・理解などできない」、つまり自分の知識や経験に不足があることを肝に銘じて、調べ、勉強し、少しでも深く解釈・理解する努力をする。プロ翻訳者として、これ以外の道があるとは私には思えない。

その上でならば、解釈・理解があいまいな部分が残ってしまったとき、その部分について、当たり障りのない逃げ方をすることも、現実にはあるだろうが。

「結局、やってることは同じじゃないか」と思う人もいるかもしれない。私は大きく違うと考える。解釈を放棄すれば、すべての文がぼろぼろになる。1文1文も、何が言いたいかを推測するのに多大な労力を必要とするし、文と文が有機的につながらないので、段落単位、文書単位では、さらに大きな労力が必要になる(実質、理解不能になる)。これに対し、解釈をできるかぎりやった上で、最後の手段として逃げるケースなら、おかしな文が、たとえば、1ページに1文しかないといったことになる。他の文は、いずれもすんなりと頭にはいるし、文と文も有機的につながっている。これなら、逃げた文もそれなりに正しく判読してもらえる可能性がそこそこある(あくまで「そこそこ」だが、仕事を放棄した訳にくらべればはるかに高い可能性を持つ)。

もちろん、逃げた1文を逃げずにきちんと訳せれば一番だが、ほかがきちんと訳されていれば、ある1文を大きく誤訳するリスクをとるより、逃げたほうが総体的な質があがると考えられることもある。逆に、逃げなければならない文が多いようなら、大幅に実力が不足しているのだ。

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コメント

Buckeyeさん、こんにちは~。
あの~、リクエストなんですけど、もう少しフォント大きくしてもらえないでしょうか。。。小さすぎて目を凝らさないと読めないよ~(まだ老眼にはなってないはず)。

投稿: Patty | 2005年8月 1日 (月) 18時04分

>SomethingAnotherさん

そうなんですよね。文書の性格によって文体がかわります。よく、翻訳するためには文脈が大事だといいますけど、どういう目的で、誰が誰に向かって書いているのかも文脈ですから。

自分が基本として使う文体以外の文体も使うためには、いろいろと書いてみる必要があります。少なくとも、そういう文体のものをたくさん読む必要があります。そういう意味では、実務経験があるのはメリットだと思います。

>Pattyさん

フォントは、一応、サイズ固定じゃないので、設定で変更してもらえればフォントサイズを変えることができますよ。IEなら、CtrlキーかShiftキーを押しながらスクロールホイールを回すとフォントが多くなったり小さくなったりしますよ(すみません、出先からノートパソコンでアクセスしているので、正確にどうするのか確認できませんm(._.)m)。

フォント関係など、細かい部分のカスタマイズは、近いうちに勉強していじれるようにしたいとは思っていますけど、とりあえず、そういう形で調節してくださいませ。ふだんの仕事でも使えるノウハウですし(^^;)

投稿: Buckeye | 2005年8月 3日 (水) 06時40分

>CtrlキーかShiftキーを押しながらスクロールホイールを回すと

なりましたー! 知らなかった・・・(恥)。
教えていただいてどうもありがとうございました!

投稿: Patty | 2005年8月 4日 (木) 02時28分

私は常々、正しい理解なしに正しい翻訳はありえない、と思っていまして、同様のことを考えてらっしゃるプロの翻訳者がいらっしゃると知って大変嬉しく思いました。
これまで、それなりの量、プロの翻訳者の手によるコンピューター分野の技術翻訳(英日翻訳)に接して来ているのですが、例外無しに「これで金を取るなよ。金を取るなら最低限翻訳を読んで意味が正しく分かるようにしろよ。ぎこちないのは許容するから。」と感じました。誇張ではなしに翻訳を読んで正しく意味が分かるようなコンピューター分野のプロの翻訳に出会ったためしがないのです。それらの翻訳をした人は例外なく、内容を理解することなく翻訳されているのです。
Buckeyeさんのような方が居ると知ったことで、仮に自分が翻訳者を選ぶ立場になったときに、プロの仕事と許容できる仕事をする人を探してみようと思えるようになりました。
Buckeyeさんのような技術翻訳者が増えるよう、Buckeyeさんに今後とも活躍していただきたいと思う次第です。

投稿: himazu | 2005年11月11日 (金) 12時28分

応援、ありがとうございます。

まず原文に書いてあることを理解しなければならない、絵が頭に浮かばなければならないということは、最近、翻訳業界で割とよく言われるようになりました。よく言われるということはそれができていない人が多いという証左でもありますし、中堅以上と言われるような人たちの中に字面訳を推奨する人たちがいたりもするので、まだまだ先が長いのですが。

誇張でないだろうことは、残念ながらよくわかります。訳者の間では、コンピューター系は単価は安いが仕事量が多く、常に翻訳者が不足しているので、訳者として働き始めるときにねらい目の分野ということになっています。もちろん実力者もいるのですが、ごく一部なのでぶつかった経験がないということは十分にありえます。

将来、コンピューター関係で翻訳を発注するようなときには、ご連絡いただければ、適当な人を紹介できる可能性もありますよ。プロフィールにも書いていますが、翻訳フォーラムというプロ翻訳者同士の情報交換・相互研鑽の場を友人と主宰していたりするので、たくさんの翻訳者が知り合いにいますし。また、私も、コンピューター関係はハードもソフトもそれなりにやるので、内容などの条件しだいでは、私にやらせていただくというのもあるかもしれませんし。

投稿: Buckeye | 2005年11月11日 (金) 16時25分

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