翻訳の品質-多変量翻訳評価関数の最大化
■翻訳品質の評価方法
翻訳に品質の良し悪しがあるのは確かだけど、それを客観的に評価するのは難しい。それどころか、自分自身の主観的な評価としても、良し悪しを判断するのは難しい。
良し悪しの判断が難しい最大の理由は、評価軸が山のようにあるからだと私は思う。短距離走のように評価軸が速度だけなら、評価も簡単だし評価をあげる努力の方向も簡単にわかる(実現できるかどうかは別問題)。ところが翻訳は、評価軸が山のようにあり、しかも、相反する部分を持つ評価軸が多く、ひとつの評価軸における評価が最高のものが総合的な評価が最高になるとは限らない。
結局、↓の問題になる。
- どの評価軸を用いるのか(人によってタイプも数も違う)
- どこでどのように評価軸間のバランスをとるのか
(バランスの判断も人によって異なる)
■多変量翻訳評価関数の最大化
翻訳というものは、「多変量翻訳評価関数の最大化をめざす」ものだと私は理解している。多変量評価関数というのは、数多くのパラメーターを持つ評価関数、つまり、パラメーターの値を入れると評価結果が得られる関数のこと。この評価結果が翻訳の品質なのだから、評価結果が最大になるパラメーター値の組み合わせを見つければいい。
「見つければいい」というが、これが、前述のように容易ではない。容易ではない理由を、単純化して考えてみよう。
パラメーターが2つ(X軸とY軸)だけの評価関数(評価結果はZ軸)を考える。翻訳だと、あるXとYの値に対するZの値をプロットしたとき、でこぼこな面が現れると思えばいいだろう。立体地図みたいなものができるのだ。地表に山谷があるように、X軸の評価を高めていく(Xの値を大きくしていく)と、Zの値が大きくなるとは限らない。大きくなったと思ったら、次は小さくなったりする。Y軸についても同様。
このような関数で最大値を求めるためには、簡単には次のようにする。Zが大きくなる方向にXを変化させる。Zがピークをこえて小さくなりはじめたら、Xを固定してZが大きくなる方向にYを変化させる。Zがピークをこえて小さくなりはじめたら、Yを固定してZが大きくなる方向にXを変化させる……とくり返す。自分が地上を歩くと考えるなら、東西方向あるいは南北方向で少しでも高みをめざすわけだ。で、どっちに行ってもZが小さくなるようになったら、そこが到達点の頂上。
この方法の問題点は、翻訳がそうであるようにピークが数多くあると、低いピークの頂上に到達して終わってしまう危険性が高いことだ。
どうするか。
ひとつの方法は、こっちのピークとあっちのピークの違いが評価できる軸を追加すること。こうして、実力がある人の翻訳評価関数はパラメーターの数が増えていく。
もう一つの方法は、出発点を変えてみること。こちらも、実力のある人ほど数多くの出発点を持っており、それぞれから到達できる最高点を比べて最終的な訳を決めていたりする(最高点まで実際に行かなくても、途中で、最高点があまり高くなさそうだとわかる場合も多い)。
もちろん、時間は限られている。だから、ピーク高さの追求も、異なる出発点を使った検討も、できる範囲が限られる。いかにすばやく、正確に検討できるかが結果を左右するのだ。そして、時間切れまでに見つけた最高のピークを最終的な成果物とする。
工学におけるやり方とまったく同じである。
■霧の中を歩く
翻訳評価関数の難しい点として、もうひとつ、霧の中を歩いているようなもので、自分が進む道が上がっているのか下がっているのかが見えないことも挙げられる。2、3歩、歩いてみないと、上がっているのか下がっているのかさえもわからないのだ。しかも、評価軸の数が多く、相反する部分を持つ評価軸が多いから、普通なら上がるはずの方向に進んでみたら下がってしまうなんてことも珍しくない。
だから、駆け出しの人は普通なら上がる方向だけしかチェックしなかったりするのに対し、実力のある人は「一通りチェック」の範囲が広い。普通なら上がる方向をチェックして、そっちが上がっていることを確認しても、他のことまで「一通り」チェックしてみるのだ。このチェックは、9割方、無駄になる。当たり前だろう。だからこそ、「普通なら上がる方向」というのだ。しかし、1割、あるいは1%のケースで、その「一通りチェック」によって別の道筋が見つかったりする。そして、実力者の訳文というレベルのものができあがる。
■余談 山岡洋一さんは、『翻訳とは何か-職業としての翻訳』(日外アソシエーツ)で「翻訳に実際に取り組んでいると、小さな技術の組み合わせによって訳文の九十パーセント以上が書けてしまうと思えるほどである(もちろん、実際には翻訳とは「その先のこと」なのだが)」と書かれている(114~115ページ)。 山岡さんの思いとは異なるだろうが、私としては、この「九十パーセント」が「普通なら上がる方向」に行く翻訳技術なのだと考えることもできると思う。これだけでもそれなりの翻訳ができるはずだ。でも、9割は無駄になる作業を惜しんでは、残りの1割をものにすることはできない。山岡さんの言われる「その先である翻訳というもの」には到達できない。そういう解釈もできるのではないかと。もうちょっと正確には、その先に向けた第一歩にすぎないかもしれないが。
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