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2005年7月20日 (水)

読むスピードで翻訳できれば最高の品質が得られる

一般には、翻訳の速度と品質は反比例するものと言われているようです。でも、私は、あえて、

「読むスピードで翻訳できれば最高の品質が得られる」

と言いたい。いや、ホントにできるって思ってるわけじゃありませんよ、もちろん。もうちょっとわかりやすく書くなら

「翻訳は速度が速いほうが品質が高い」

となりますか。

そんなばかな、と思うでしょ? 「時間がないから(スピードを上げざるを得なくて)品質が低下する」っていうのは、これはもう、常識のように言われていますものね。

そうでもないんですよ。だって、翻訳をはじめて下手なうちは遅いけど、上手になるにつれスピードも上がってくるっていうのはよく聞く話。タイプに慣れたとかアレコレ工夫したからっていうのを差し引いても、あきらかに、訳文を考えるスピードがあがってくるはずです。そりゃまあ、スピードだけあがって、うまくならない人もいますが、それはまた別の話なので横に置いときましょう。

このあたりがどうも矛盾しているようだと思う人は、実はけっこう多く、「おしゃべりな翻訳者」というブログの「翻訳速度と品質」でも↓のように書かれています。

>> うまい(高品質な)翻訳者は、ある程度という条件付きではありますが、速いと思います。

■翻訳の速度とは?

このあたり、話がややこしくなっている理由は、「翻訳の速度」というものについて、ふたつある尺度がごっちゃになってるからです。

ひとつの尺度は、「やることやった上で翻訳するスピードの絶対値」です。これは、初心者は遅いし、上手い人は(少なくともそれなりに)速いことが多い。もうひとつの尺度というかとらえ方は、「ある人がやることやった上で翻訳するときのスピードは、aaaからbbbが普通である」という範囲に対して、その範囲の中で速い・遅い、あるいは、その範囲を逸脱するほど速い、などというものです。つまり、「速度を上げると品質が落ちる」をもう少し正確にいうと、「ノーマルな速度範囲を逸脱するほど速くすると手抜きになって品質が落ちる」なのです。「上手になるにつれて速くなる」は、「ひとつひとつの作業や考察がすばやくなり、たくさんの事柄を処理しても(←上手い翻訳ができる)、作業全体に要する時間が短くなる→ノーマルな速度範囲が速いほうに移動する」です。

■翻訳の速度と品質の関係

じゃ、「翻訳は速度が速いほうが品質が高い」は?

ここでいう「速いほうが」は、「ノーマルな速度範囲の中で速い」を意味します。この言い換えは、まずひとつ、「ノーマルな速度範囲が速い人のほうが上手い」ですし、もうひとつは、「ノーマルな速度範囲の中で遅い方の処理速度だったときの案件は品質が低め」でしょう。これなら、プロ翻訳者の実感に近くなるのではないでしょうか。

あくまで「傾向」です。速いだけで下手な人、遅いけどとっても上手な人もいますよ。

実感ではそうだと思うんだけど、じゃあ、なぜ、そうなるんでしょう。

理由はいろいろあるでしょうけど、そのひとつとして、言葉は前後関係の上でなりたっているという点がかなりあるんじゃないかと考えています。速度が遅くなればなるほど、目の前の1文、目の前の1単語ばかりに集中し、他のことが目に入らなくなります。逆に速度が速くなると、ある程度は、前後まで目にはいるようになります。これは時間的なこともあるでしょうし、注意力の総量といったイメージのものとも関係がありそうです。

速読の分野でも、同じように、ある程度以上のスピードで読んだ方が理解が深くなるっていう話があるようです。理由は、やはり、前後がよく見えるから。

速度が速いほうが前後関係が見える→前後関係に即した訳文ができあがる→品質があがる、というわけです。前後関係が一番よく見えるスピードは……読むスピードでしょう。だから、冒頭の、「読むスピードで翻訳できれば最高の品質が得られる」となるわけです。手抜きなし、すべてをきちんと考慮し、検討した上で、読むスピードと同じ速度で訳文が作れ、入力できれば、おそらく、すぐれた品質の翻訳ができることでしょう。

って、そんなことは、明らかに不可能ですよね。訳文を入力するだけでも読むよりはるかに遅くなるし(完璧な音声入力ができても、声に出せば黙読よりも遅くなる)、訳文以外に当然ながら原文も読まなきゃいけないから、さらにスピードは遅くなります。ま、だから、どんなに上手い人でも、必ず、最後に通して読みなおす、つまり、読むスピードでチェックする必要があるわけです。

■翻訳の速度を上げ、高い品質の翻訳をするためにはどうしたらいい?

「翻訳は速度が速いほうが品質が高い」の前提は、「やることをすべてやった上でスピードが速い」です。

手抜きなどはもってのほか。なお、ここでいう「手抜き」は意識的なものだけでなく、実力不足なり意識不足なりで検討すべきことがわからずにしなかった、も含みます。最終的に同じ訳文ができたとしても、甘く考えてなにげなく書いた訳文と、他の可能性もしっかり検討した上で最善としてできあがった訳文は違うのです。ある1文だけ取り出せば、まったく同じということがありますが、たくさんの文の集合体となる文書全体が、両者、たまたま、同じものに仕上がるなんてことはない→前後関係の中においたとき、その1文のデキは異なっているっていう意味で、ですけどね。

ただし、辞書を引くのに1冊、1冊、ぱらぱらとページをめくる手間をはぶき、電子辞書の串刺し検索で一気に引いてしまうのは吉です。こういうのは手抜きじゃなくて効率アップですから。効率アップしたら、チェックする辞書の数を増やすこともできるので(っていうか、すべきです)、手抜きとは対極にあります。

ただまあ、そういう小手先とは比較にならないほど大事なのが、なんといっても、実力の涵養、でしょう。どことどこに注意するのか、どういう選択肢を比較検討するのか、どの辺りに地雷が潜んでいそうか、数多くのポイントの中から、今、翻訳している文で重点的に考えなければならないことを瞬時に、かつ、正しく選ぶ、選んだポイントについて深く検討する……いずれも、実力をつけることでしか実現できないことだと思います。

具体的にはどうしたらいいか……は、おいおい、考えをまとめてみたいと思います。

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コメント

音声的にやるっていうのはいいですね>訳文の最終確認

人は、文章を理解するというプロセスでさまざまなことを処理しているんだと思うんです。ひとつひとつは小さなことだから、ねぐってしまっても特に影響がないように感じます。でも、そういう小さなことが積み重なって最終的な理解にいたるわけで、ねぐった分は確実に理解力が低下しているはずで……原文の解釈から訳文の読み直しにいたるまで、我々の仕事でいろいろな悪影響が生まれるはず。逆に、ひとつひとつの質をあげたり多角的にしたりすれば、多くの入力情報を処理することになって、プラスが生まれるはずです。

ときどき読み返す本に「コンサルタントの秘密-技術アドバイスの人間学」という古い本があります(示唆に富む話が楽しく読める本です)。ここに、「差なし、プラス差なし、プラス差なし、プラス……は、いつかはっきりした差になる」という合成の誤謬が紹介されています。もちろん、プラス側の差だけじゃなくて、マイナス側の差も出るので、いろいろと気をつけなきゃいけないわけですが。

投稿: Buckeye | 2005年9月19日 (月) 06時43分

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