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2019年9月17日 (火)

家族旅行2019――5日目(アウシュビッツ見学)

今日は、ある意味、今回の家族旅行で最大の目的地であるアウシュビッツの見学。シンドラーの工場跡地でさえ落ち込んだくらいなので、かなり暗い1日になると思われる。

6時ごろ目が覚めたら、お世話係がいなかった。珍しい。いないということは、昨日のパン屋さんあたりがあやしい。私も合流しようとパソコンなどを持って部屋を出たら、ホテルのロビーで本を読んでいた。今日は、戻り、部屋でお茶にすることにした。

■部屋のコーヒーはインスタントだった

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こばっかいは体調がすぐれないし、にこばっかいも疲れているようだ。それもあるし、午前中に予定しているポモルスカ通りが朝10時開館と遅いのもあるしで、朝ご飯はゆっくりめの8時からとしていたのだが、それでもなお、こばっかいが起きてこない。もともと朝飯はあんまり食わないやつだし、寝させたほうがいいだろうと、8時半少し前、3人で朝食に行く。

■朝食

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■レストランのディスプレイに水牛の角が……

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つい、こういうところに目が行くんだよなぁ(^^;)

朝食後、昨日買った5リットルの水を分けて持ち、こばっかいをのぞく3人でポモルスカ通りへ。

■5リットルはさすがにでかい

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ポモルスカ通りというのは、第2次世界大戦中、ゲシュタポの地方本部が置かれていた場所だ。ナチスドイツで苦労したあと、大戦終了で解放されたはずが、その後はソ連の支配でまたも大変なことになった歴史が展示されている。

ツーリストインフォメーションで教えてもらったバスに乗ろうとするのだが、バス停が見つけられない。時間を気にしないなら(午後のアウシュビッツ行きがあるので時間はとても気になる)歩いても行けるところなので、そちらに移動しながらパスに乗る方策を探す。教えてもらった番号のバス、反対向きらしいのは見かけるので、そちらの運転手さんに尋ねたら、これに乗れ、と言う。チケットは買えるのかと尋ねたら、なんかちょっと困った顔をしたあと、首を縦に振り、また、乗れとジェスチャー。とにかく、3人、飛び乗ってみる。

車内に券売機はあったが硬貨のみ。ポーランドって、意外なほどどこでもクレジットカードが使えるようになっていて、現金を使わないので硬貨が入ってこない。なにせ、パン屋さんとか織物会館の小さな土産物屋とか、クラフト市(みたいなもの)とかでさえ、みんな、クレジットカードで決済できるのだ。というわけで、硬貨をかき集めても足りない。そんなこんなをしているうちに、降りるところに来てしまった。ええい、ままよと降りる。無賃乗車しちゃいました。ごめんなさ~い。

■ポモルスカ通り入り口には花が捧げられていた

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■入り口

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我々が学生のころ、ポーランドと言えば連帯が有名で、なんか大変みたいだなぁと思っていたが、そうか、こういうことだったのね。あちこちから侵略・分割され、国としてまとまることがなかなかできず、ようやくまとまったと思ったらナチスドイツに占領され、そこから解放されたら、ソ連の支配と、まあ、見ているだけで胃が痛くなるような話が並んでいる。

胃もさることながら、腰から背中がとにかく痛い。凝り固まっているのだからと、ちょこちょこ、体を前に倒したりゆっくりひねったりして、腰回りの筋肉を動かしているのだが、そのくらいでは追いつかない感じ。あきらかに下り坂で、この調子だと、とても帰国までもたないだろうと思われる。心配だ。

12時にアウシュビッツ行きのバスが出るので、11時ごろ、そろそろ戻らなきゃねという話になったあとが大変だった。時間節約でタクシーを使いたいのだが、ポモルスカ通りの人にタクシーを呼んでくれと頼むのだが、英語がまったく通じない。しば~らくして、多少は通じる人が出てきて電話をしてくれたが、今度は電話が通じない(ずっと話し中らしい)。結局、~番にかけろと言われて外に出ることに。いや、~番にかけろと言われても、ポーランドでは、なんか、電話がうまくかからないのよね(家族間はライン電話でしのいでいる)。

でも、そのあたりを押し問答できるほど、相手に英語力がないので、とにかく、外に出て、バス停を探しつつ、タクシーを捕まえる努力をすることにした。バス停があるはずのほうに歩きつつ、タクシーを見かけたら手を挙げてみる。こっちは流しは基本的にないらしいし、そもそも、空車か実車かの区別が外観からつかないので、手を挙げても客を積んでいたら絶対に止まってもらえない。と、横断歩道を渡るとき、我々を待って止まったタクシーに客が乗っていないのを発見。身振りで乗せろと伝えると、止まってくれた。やった~!

ホテルに戻り、急いで用意して駅へ向かう。時間はぎりぎり。お昼を買いたいがその時間はあるのかというくらい。なので、ほかの3人にお昼を買ってもらうことにして、私はバス乗り場の確認に先行することにした。電光掲示板を見ればいいのだと思っていたのに、それらしいバスが見当たらない。ネットで情報を集めると、2階のことが多いが、プラットフォームはよく動くので確認しろとある。で、どうやったら確認できるのよ? しかたがないので、チケット売り場の列に並び、売り場で「12時のバスでアウシュビッツに行きたい。チケットはある。どこに行けばいいか」と尋ねてようやく確認することができた。じゃ、2階に上がってプラットフォームを確認と振り向いたら、残り3人が着いたところだった。いや、先行してよかったわ。4人まとまって2階にあがり、プラットフォームを探す。結局、ホントにぎりぎりでバスに乗れた。

■我々が乗ったらすぐにバスが発車~

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1時間半弱でアウシュビッツに到着した。ちなみに、バス代は片道一人15ズロチ、約450円。これで高速1時間以上も乗るほど遠くに行けるのだから安くてびっくりだ。

クラクフも涼しかったが、こちらはさらに涼しい。長袖Tシャツ、長袖シャツ、防風の上着でちょうどというところ。

ガイドツアーの集合まで少しあるので、まずは遅めのお昼を食べてしまう。

■サンドイッチでお昼

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■ツアー集合

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ガイドは中谷さんという方。すごく優秀だった。話してくれる内容も情報量が多いし、大勢をリードして歩くのも上手。滑舌はふつうだが、ゆっくりめな上、スピードも音量も安定しているので聞きやすい。私は耳が悪いのもあってガイドさんの話が聞き取れないことも多い(特に、おもしろいことを言おうとする人の話はわからないことが多い)のだが、アウシュビッツはじっくり聞いて歩くことができた。

■アウシュビッツの強制収容所跡地に入る

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ALBEITのBが上下逆さまなのは、せめてもの反抗だったという話があったりするらしい。

■奥にガス室が写っている写真

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最後、ガス室は破壊するなど証拠隠滅が計られたが、ドイツ将校だかが自分の心覚えに撮っていた写真が残っていて、戦後の裁判で決め手になったんだとか。中谷さんもくり返し述べておられたが、収容所そのものの設備などを見ただけでは犯罪性は感じられないので、こういう証拠がなければ、いわゆるホロコーストが闇に消えた可能性もあるのだろう。

■毒ガスの元

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最初は収容して民間工場などで働かせたりしていたが、だんだん収容しきれなくなり、労働力にならない女子ども、老人など、75%もの人が収容所につくなりガス室送りだったとか。

■千羽鶴を供えるお世話係

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中谷さんからは、残っている施設や展示などについてだけでなく、ここを取り巻いていた当時の状況についてもいろいろと説明があった。

ヒトラーは独裁者となったがそれはクーデターによるものではなく、民主的な選挙を通じてだった。第1次世界大戦後、賠償で閉塞感が高まり、実行力のある指導者を求める機運が国民に広がっていた。そのなかで、国民の3割程度の支持で首相となったヒトラーは、連立政権で絶対安定多数を確保し、政府が決めたことが法制化される状況を作った。それを国民の多くは、積極的に肯定したわけではないが、明確にノーとも言わず、「どちらとも言えない」という形で消極的に肯定した。その結果、本当は定義などできない「ユダヤ人」なるものが法律で定義され、その定義に当てはまる人がユダヤ人として迫害され、強制収容所に送られた。最初は銃殺などしていたが、殺す側が精神的におかしくなるのでガス室というある意味間接的な手法を開発したり、そこへの誘導など直接関与する役割はユダヤ人にやらせた。現場の軍人たちは、ある意味、ふつうの人たちで、全員、上から命じられたからやった。ドイツ軍の軍人としてやるべきことをやっただけと語っていた。

そんな話だった。

当時の状況を聞いているはずが、最近、日本でよく見たり聞いたり感じたりする社会状況を語って聞かされてるような気になってしまったのが、なんともはやである(--;)

最近のドイツやイスラエルの話も。

ドイツでは、中高生のほとんどがここを訪れるのだそうだ。アウシュビッツの歴史は大学入試を左右するような位置づけになっているらしい。国民の一人ひとりが自分の頭で考えるように若いころから意識を高めるべく、制度ができているわけだ。

イスラエルからも、若者がたくさん訪れるとのこと。こちらは、戦後、ずいぶんと長い間、アウシュビッツの話などできない状況だったそうだ。被害を受けた当事者が多すぎて、触れることすら難しい、と。それがいろいろな意味で次第に落ちついてきた、と。見学の様子も、だんだんと変わっているらしい。20年前は、引率の大人が大声で演説するようなシーンがあったりしたが、最近は、そういうこともなくなったりとか。

■イスラエルから見学に来た若者

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それでも、イスラエルの人にとってここを訪れるのは心理的な負担がかなり大きく、国旗に身を包んで歩く若者も少なくないとのこと。

明るいニュースとしては、こういうことを続けてきた結果、ドイツとイスラエルの人々同士、草の根レベルで理解し合う、和解する機運が高まってきたという話もあった。

中谷さんのガイドツアーは、午後2時から6時ごろの4時間ほど。それなりに知っていた部分も多いが、今回、新たに知れたことも多く、来てよかったし、ガイドツアーという形にしてよかったと思った。正直なところ、とてもじゃないがこの時間で消化しきれる内容ではなく(上に書いたのなんて、聞いた話のごくごくごくごく一部にすぎない)、じゃあ、我が身を振り返ってどうするのかなどはこれから時間をかけて考えていかなきゃいけない。

戻りのバスが満員だったらどうなるのか心配だったが、そこそこ空席がある状態だった。

クラクフ帰着は8時近く。時間も遅いし、さっと食べられそうな駅ビルのフードコートを試してみることにした。

■フードコート

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■アジアンフードのお店

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Makaron NipponとかChicken Nipponとか、怪しげなメニューも(^^;)

私は、最初、あちこちで見かけたnorth fishなるお店を試そうと思っていたのだけれど……メニューを見て歩いたら気が変わり、最終的にマクドナルドを選択。ウィーンのマックは日本とはっきり味が違っていたし、ポーランドのマックがどうなのか、食べ比べてみるのも一興かと。

■きのこたっぷりシェフズバーガー

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サラダがでかい。っていうか、日本のサラダもこのくらいにしてほしいんだけどな。

■バーガーもでかい

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ほかにも試してみたいものがあったけど、この大きさで2個はさすがにつらい。

味はなかなかによかった。日本で売ったらけっこう人気が出そうな気がするくらい。

■こばっかいはケンタッキー、にこばっかいはケバブ

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ケンタッキーのチキンバーガーも、日本とは、味も大きさもまるで違う。

駅ビルはかなり新しく、きれいなお店がたくさん並んでいた。おもしろかったのは、やはり、食べ物関係。

■果物屋さん

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お世話係が洋梨とブルーベリーを購入。ブルーベリーがすごくおいしかった。

■ケーキ屋さん

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チョコレートの巻き方がすごい。

■お寿司屋さん

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右側、どこがどうだからNagoyaなんだか。

■スターバックスコーヒー

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■チョコレートショップ

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工具型かい。すぐ隣には、ファルコン号などスターウォーズシリーズも。

■スターウォーズシリーズも

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そして、我が家恒例の本屋さん。ボードゲーム売り場も見えたし、文房具売り場も見えたしで、つい、ふらふらと入店。

■ポーランド語版スティーブン・キング

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■日本の漫画も

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■背表紙のタイトル、日本語ままのものもあるんですけど

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■ボードゲーム売り場には、こんなんええんかいってものも

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夜遅いというのに、じっくり見てしまった(^^;)

■最後はホテルの部屋で地ビールなんぞ

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明日は移動なので、荷造りなどをして、寝たのは夜中1時くらいかなぁ。

歩数約2.1万歩。アウシュビッツでは歩き回ったけど、バスなどでの移動が多く、全体としては歩数少なめだった。

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