『PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』

3月15日の予定で、新しい訳書が出ます。『PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』(文響社)というものです。

訳者あとがきにも書いているように、アニメーション企業ピクサーの舞台裏を中の人が描いた本です。やっぱり、舞台裏の話は読んでいておもしろい。訳していて、こんなにおもしろく、おもわずにやけながら仕事をしていたのは、『アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』以来ですね~。

こういう本は、ノンフィクション作家(記者さんとかが多い)が綿密に取材して書くのが普通です。ノンフィクションですから、なにが起きたのかを描きだしていくのが基本。人によって意見や記憶が違えば、この人はこう言ってるけど、こっちの人は別のことを言っていると多面的に描くなどして、客観性を担保します。

この本は違います。中の人、当事者が書いているのですから。客観性などくそくらえの主観全開です(いや、もちろん、登場する人には改めて会って事実確認したりして書かれていますが)。心の声がダダ漏れ状態。だからおもしろい。ほとんど私小説の世界です。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月19日 (火)

"over ~ days"と"over ~ consecutive days"の違い

某所で知り合いが"over ~ days"と"over ~ consecutive days"はどう訳し分けたらいいのかと疑問を呈していました。

英語では over ~ consecutive days も言うようですが、日本語では「わたって」に、「続けて」という意味があるので、「連続~日にわたって」、「続けて~日にわたって」は重複表現になってしまいます。

【日本語として重複表現にならずに】over と consecutive のニュアンスを出し、かつ over ~ days との違いが分かるように、over ~ consecutive days を訳す方法はあるでしょうか。

なかなかおもしろそうな話だったので、少し考えてみました。

仕事で"over ~ days"や"over ~ consecutive days"が出てきたら、そこではどういう意味になるのか、その文脈に合う表現を考えればいいのですが、一般論としてというか、表現そのものの違いを考えたいのであれば、それぞれの表現がカバーする意味範囲を考えてみることから始める必要があるでしょう。それがわからなければ、訳出すべき違いがわからないわけで、どうにもなりません。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月15日 (金)

『道を拓く』(通訳翻訳ジャーナル特別寄稿)

2月21日に発売となる通訳翻訳ジャーナル2019年4月号に記事を書きました。

上の画像をクリックすると、アマゾンのページに飛びます。そこにある内容紹介

【特集1】
今もこれからも、求められる人材になるために─
通訳者・翻訳者がやるべきこと
* 将来のために、今、やるべきこと 翻訳編・通訳編
……

にある「将来のために、今、やるべきこと 翻訳編」(↓)です。

■特別寄稿『道を拓く』

20190215__2

連盟の理事みたいな役職もそうなんですけど、こういう記事を書く役割もいろんな人が担うべきで、いいかげん、世代交代すべきなんじゃないかと思っています。ですが、今回は、アルクさんに続いてぜひにと言われてしまいました。しかも、特集のテーマに沿っているかぎり内容は自由、分量も予定は2ページだけど、3ページ、4ページになってもいい(原稿料は分量比例)と破格の好条件です。これなら書きたいことが書けそう、たぶん、ほぼ出版専業となったいまじゃなきゃ書けない話が書けると思ったのでお請けすることにしました。ある意味、お世話になった産業翻訳界に対する最後の恩返し、です。

というわけで、産業翻訳者人生を総括したような、かなり踏みこんだ記事になっています。ここまで踏みこんだ話は、過去、記事にもしてませんし、講演などで話してもいません(オフで会った人には、断片的にぽろぽろ話してきていますが。直接会うの、大事です)。今後することもないでしょう。ほんと、いまだから書けた、書いてしまったと思うし、雑誌という媒体だからこそ書けた、書いたという側面もありますし。密度も、結局6ページ分に達してしまった原稿を4ページに圧縮したので、すごいことになっています。ページ数から想像される以上の読み応えがあるはずです。(分量はお任せといっても、さすがに2ページ予定を6ページは無理。ムックとかなら話は別だったかもしれませんが。なので、編集部と相談しながら、基本的に内容を削らず、4ページぎちぎちまで圧縮しました)

先日のアルク『翻訳事典2019-2020』では、実際の翻訳でなにを考えどうしているのかを細かく段階に分けてまとめました(実際の翻訳は渾然一体となっているわけですが、わかりやすくするために)。対して今回の記事は、翻訳者としての事業戦略とその実践に焦点をあてて書いています。たまたま、もの作り(翻訳事典)と経営(通訳翻訳ジャーナル)、両輪について続けて書くことができたような感じです。

まあ、一番の肝は「自分の道は自分で選ぼうね」ということで、最近、あちこちで言ったり書いたりしてるのと変わらんじゃんと言われればそのとおりなんですが。(ちなみに、書いてるときのBGMは、TOKIOで有名になった中島みゆき『宙船』^^;)

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月11日 (月)

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

しばらく前に仲間内で話題になっていたので読んでみました。翻訳にかかわる人、特に産業系の翻訳にかかわる人は一読しておくべき本だと思います。

著者が訴えたかったこととは別に、翻訳にかかわる人にとって大事なことが2点あると思います。

ひとつは、最近の機械翻訳がなにをどうしているのか、その概要がわかること。機械翻訳+ポストエディット(MT+PE)について考えるなら、このくらいは知っておくべきという基本の部分がわかりやすく解説されています。

先日の「翻訳者視点で機械翻訳を語る会」で、MTが不思議な挙動をするってSakinoさんが実例を挙げて語ってましたが、こんなやり方してるんだったら、そうなるのも当たり前だよなと思ってしまいました。たとえば、肯定・否定の訳しまちがいとか。そういう正確性より可読性を重視した仕組みになっているわけです。概要を斜め読みするにはこのほうがいいんだろうけど、これを下訳だと思うのはとても危険だとも思っちゃいます。

もうひとつは、我々の翻訳を読む人々の読解力がどの程度なのか、それが調査に基づいて語られている点。上記部分を読むと、MTはさいころ転がしているようなもので当てにならないことがわかるのですが、実は、人間も、さいころ転がすのと大差ない読み方しかできない人が少なくないのだそうで。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月31日 (木)

アルク『翻訳事典2019-2020』

毎年出ているアルクの『翻訳事典』、最新版が本日発売になりました。

私も記事をひとつ書いています。内容紹介の

3.機械翻訳と人間翻訳者
旬の話題である機械翻訳について、翻訳者の立場に立って識者が解説します。他誌にはない必読記事。

というところ。3パートあるうち、最後が私です。といっても、特に新しいことを書いているわけではなく、このブログや翻訳フォーラムシンポジウムなどでいつも言っていることをまとめ、機械翻訳+ポストエディットとの関係を指摘しただけとも言えるのですが。

私の前では、機械翻訳の出力文にはどういう問題があるのかを、Sakinoさんが具体的に指摘してくれています。こちらは、ほとんどの方にとって初見になるのではないかと思います。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月28日 (月)

日本語の文末表現

だいぶ前の本で、編集さんからの提案とか相談とかをチェックするゲラ前の処理をしたときのことです。

余談ながら、提出した訳稿からゲラまでの処理は、編集さんによっていろいろなパターンがあります。この編集さんのように、大きな疑問をつぶしてからゲラにする人もいます。出した原稿がそのままゲラになって返ってくることもあります。ついでに言えば、出した原稿があっちもこっちも訳者としては不本意な形に変えられて返ってくるケースもあります。

本が厚くなりすぎそうなんで、少しでも行数を減らしたいとのことで、このときはあちこち削る提案が一杯入っていて、そのせいで思いのほか時間がかかったりしたんですが、それはまあ、いいんです。なにかしようとすれば時間がかかるのは当然ですから。

ただ、削られたり簡略化されたりするのは、文末が多いんですよね。

でも、日本語の文末って、トーンとかニュアンスとか、ほかの文との関係とか、時間的なこととか、いろんな意味(テンス、アスペクト、ムードなどと言われるもの)を担う大事な部分です。だから、私は、ほかをなるべく切り詰めた上で、文末だけは文字数気にせず必要なものは盛りこむというのを基本にしています。

このときもあちこち文末を削る提案がいっぱいあったのですが、意図があってのことなので、ちょっとどうかと思っても、それなりに了承しました。したんですが、あとになって、これはまずかったかもと思いいたりました。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月24日 (木)

ゲラ読みに使う道具

ゲラ読みは、基本、食卓でやってます。

■こんな感じ

20190121_161523_canon_ixy_650_img_1

ゲラを置いている台は(↓)です。

ゲラのサイズは、自分でプリントアウトしたものならA4、送られてくるものはA4かもうちょっと大きなB4。上に写っているのはB4で、このサイズだと上端がちょっとはみ出てしまいますが、実用上、これで困ったことはありません。

ゲラを机に直接置くとどうしても前かがみになり、何日か続けて日がな一日ゲラ読みしていると、背中の上半分から肩がバリバリになります。このように向こう端を少し持ち上げてやると、それがすごく楽になります。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月23日 (水)

翻訳者視点で機械翻訳を語る会

先日(1月14日)、「翻訳者視点で機械翻訳を語る会」なるものに参加してきました。

正直なところ、私には、無縁の話なのですが。機械翻訳+ポストエディット(MT+PE)に関わる必要のまったくない分野で仕事をするようになっていますし。そうなってからもしばらくは、自分と関係はないが業界の健全化をめざして情報を集め、翻訳会社などにできるかぎりの働きかけをするといったことをしていましたが、日本翻訳連盟の理事も退任し、そういう立場でもなくなったので。なので、もともと参加はしないつもりでいました。ですが、主催するコアメンバーから、できれば来てくれとの話があり、行くことになりました。

それはともかく。

かなりインパクトのある会になり、参加した人がいろいろな感想をネットに上げられています。

当日どういう話があったのかは上記を読んでいただくとして、思ったことをメモしておきたいと思います。かなりとっちらかった記事になりますが、あくまで雑感ということで読み流していただければ。

» 続きを読む

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年8月17日 (金)

『新版 社員をサーフィンに行かせよう――パタゴニア経営のすべて』

発刊は2017年6月15日ですから、1年以上も前に出た本なのですが……こちらで紹介を忘れていたので。

パタゴニアさんの本は、『レスポンシブル・カンパニー』(ダイヤモンド社)に続く2冊目です。『レスポンシブル・カンパニー』の評判がよかったのか、こちらもというお話をいただきました。

「新版」とあることからもわかるように、この本は10年前に出た『社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論』(東洋経済新報社)に最新の知見を加えた改訂新版です。大幅な加筆修正が行われていますが、でも、前のまま残っている文章もあります。私にとって、こういう既訳のある仕事は初めてです。

翻訳というのは訳者ごとにスタイルが異なり、同じ原文でも雰囲気の異なる訳文になるものです。原文は楽譜、訳者は演奏者という言い方をする人もいるくらいで。ですから、今回、既訳があるところも改めて訳しなおし、全面新訳の新版としています。ただ、前著も話題になった本でかなり多くの人が読んでいるはずなので、用語レベルは既訳にそろえられるかぎりそろえたほうがいいだろうと既訳も参照しつつ訳出作業を進めました。写真もたくさん掲載されているので、パタゴニアさんが出されている写真集などを入手し、固有名詞の表記など揺れないほうがいいものが揺れないようにするといったこともしました。

パタゴニアさんの本は、編集さんとアウトドア系趣味の話で盛りあがって『レスポンシブル・カンパニー』を担当することになったという経緯もあり、今回の『新版 社員をサーフィンに行かせよう』も楽しく仕事をすることができました。そのあたりは訳者あとがきを読んでいただいてもわかるかと。趣味全開なものになっております(^^;)

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月11日 (土)

部分否定

最近気になっていることがあります。部分否定です。これがおかしくなっている日本語をよく見るのです。

日本語の場合、「すべてが~できない」は全否定であり、部分否定なら「すべてが~できるわけではない」「必ずしも~できるわけではない」「~できないものがある」「一部は~できない」「~できるとはかぎらない」などとなります。なのに、部分否定であるはずの文脈で「すべてが~できない」のような書き方をしているわけです。

「すべてが~できない」を部分否定のつもりで使うのは、英語の“not all”が部分否定だからなのではないか、つまり、“not all”を下手な翻訳で「すべての~が~できない」としてしまい、それが広まりつつあるのではないかと危惧しています。まあ、推測でしかなくて真偽のほどはわかりませんけど。

ともかく、プロ翻訳者でもよくやらかしているというのがなんともはやです。翻訳するときじゃなく、日本語で文章を書いていてやらかすということは、部分否定のイメージが頭にあるのに部分否定の日本語が出てこないってことでしょう。それって、部分否定の日本語が使えなくなっているのか、あるいは、全否定を部分否定だと思うようになってしまっているのか。

そういうのを見ると、もしかして、いつも、“not all”を部分否定とわかったうえで「すべてが~できない」的な訳し方をしているんじゃないかと思ったりします。つまり、いつもそう訳しているうちに染まってしまい、日本語のほうがおかしくなったのかなぁ、と。で、そういう人は、きっと、これ以外にもいろいろと英語表現に引っぱられた日本語に染まっちゃってるんじゃないかなぁ、と。(allなど英語の数量表現はほぼ必ず名詞の前にあるけど、日本語は多様。なのに、翻訳では数量表現を名詞の前に置いた日本語ばかりっていうのも気になる点だったりしますけど、それはとりあえず横に置いておきます)

このあたり、翻訳者なら職業病というくらい気にならないといかんと思うんですけど。どうなんでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«『日本語におけるテキストの結束性の研究』